こころの電話

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3月15日~吐く息吸う息一瞬一瞬を…

 春のお彼岸です。日に日にあたたかさが増してきました。

 さて、先月、二月十五日は、お釈迦さまが涅槃に入られた日でした。つまり八十歳でお亡くなりになった日です。お寺の子ども会では、子どもたちにそのことをお話しし、お釈迦さまのご遺徳を偲びました。

 お釈迦さまは、今から二五〇〇年前、インドの釈迦族の王子としてお生まれになり、十六歳で結婚し子どもも授かりましたが、二十九歳で地位や財産などすべてを捨てて出家され修行者となりました。

 さまざまな厳しい修行と瞑想の果てに、三十五歳で悟りを開かれ仏さまとなり、それから四十五年間、多くの人々に仏教の教えを説かれました。

 そして、高齢の身となられ、最後の旅の途中でお倒れになったのです。

 ちょうど昨年の二月、私はそのお釈迦さまの仏跡参拝のため、インドに行っていたのですが、お釈迦さまが亡くなられたところは、クシナガラという場所で、家でも病院でもなく、林の中でした。二本の沙羅の木の間に、頭を北に、右脇を下にしてお亡くなりになったのです。

 仏教の開祖で、人類史上最も偉大な方の最後は、立派な家でも病院でもなく、屋根さえない林の中でした。これは何を意味しているのでしょうか。

 それは、人間は、亡くなるときの場所や環境が問題ではなく、それまでの生き方が大切なのだということを教えて下さっているのです。立派な人でも病で苦しみながら死ぬこともあります。たとえ裕福であっても、事故や災害にあって死ぬこともあります。人は死を選ぶことはできません。それよりも、その人がどのような人生を歩んだかが重要なのです。

 私たちのいのちは、この吐く息吸う息の一瞬一瞬にしかありません。

 その一瞬一瞬を粗末な生き方にしていないか、無駄な生き方にしていないか、お釈迦さまはそのことを問いかけておられるのです。

3月15日~吐く息吸う息一瞬一瞬を…2008年03月16日【68】

3月1日~あらゆる邪悪を払う盾が…。

 二月が逃げるように過ぎ、少しずつ春が近づいているような気配です。

 さて先月、千葉県・野島崎沖で起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故は痛ましいものでした。行方不明の漁師の親子はいまだ見つかっておらず、本当に残念な思いです。

 また、事故直後からの海上自衛隊や防衛省の確認や報告も後手後手で、被害者や重大事故の適切な対応、また国防という観点よりも、関係者互いの身の保全や古い官僚体質の方が際だって、憤りと共に歯がゆい思いが致します。

 一方で、この事件は、火急な時の適切な確認と対応、被害を受けられた人を心から思う気持ちなど、私たちの生活のレベルにおいても、今一度考えさせられることが多いのですが、もっと日常で言えば、人間と機械の関係もあります。

 この度事故を起こしたイージス艦は、通称「船体の盾」と呼ばれ、遠距離から同時に多数飛来する航空機や対艦ミサイルから艦隊を守る高性能のレーダーを搭載した戦艦です。

 その世界でも屈指の戦艦であっても、乗組員が定められた適切な使い方をしなければ、役に立たないどころか、何の関係のない民間人をあやめてしまう凶器となってしまいます。

 それは決して自衛隊だけではなく、さまざまな電化製品、パソコンや自動車。あらゆる業務機器に囲まれて生活をする私たちも例外ではありませんし、エネルギー消費という観点からも、その一つ一つの利用の仕方があらためて問われてきます。

 「イージス」とは、ギリシャ神話に登場する最高神のゼウスが、娘のアテナに与えた、あらゆる邪悪を払う盾の名称だと聞きます。きっと、日本の民を外敵から守る意味でつけられたのでしょうが、この度はその盾が、民を害する、邪悪な鋼鉄の固まりと化してしまいました。

 遠くでの出来事と看過するのでなく、自らの生活に深くかかわることとして、受け止めたいものです。

3月1日~あらゆる邪悪を払う盾が…。2008年03月01日【67】

2月15日~私が死んだらどうなるのか…。

 冷たい北風が衣の袖から入り込んできます。

 さて、一月のテレホン法話で、「たったひとつの命だから」という本をご紹介したら、メールや電話をいただきました。今回も、その本の中からのお話です。 たつやくんという男の子の、お母さんからのお便りです。

 六年前、五年生だった息子のたつやは、大けがをして入院しました。ある日、同じ年の女の子が隣の部屋に入院してきて、二人はすぐに仲良しになりました。

 その女の子は、病気は貧血と聞いていましたが、点滴や脳波の検査を怖がる息子を、「がまんせんね、すぐよくなるけん」と言いながら、いつも励ましてくれました。そして、本を読んでくれたり、描いた絵をプレゼントしてくれたり、本当に賢い女の子でした。

 ある日のこと、その女の子は無菌室に移されました。その時初めて彼女が違う病気であることを知りました。息子は、毎日、ガラス越しに面会に行きました。女の子の抗がん剤治療が始まりましたが、それでも女の子は、「すぐよくなるから、注射と退屈な病院生活をがまんしようね」と、息子を励ましてくれました。

 息子の退院の日、同じ日に、女の子の様態が急変し、そして亡くなりました。とても、息子にそのことを告げることはできませんでした。

 しばらくしてから、女の子のお母さんから手紙をもらいました。女の子から息子にあてた手紙でした。

 「たつや君、友だちになってくれて有り難う。一緒に退院しようねって、約束したけど、破ってごめんね。きびしいことばかり言ってごめんね。私が死んだら私はどうなるのか、こわいです。お父さんとお母さんがいないところへ行きたくない。でもね、えんぴつ持てなくなってきた。病気がひどくなってきた。死ぬのが恐いです。さようなら、さようなら」

 このお母さんは、この手紙をたつやくんにも、誰にも見せずに大切にしまってきました。

 明るいところしか見せなかった彼女は、本当は泣いていたのです。どんな思いでこの手紙を書いたのか…、いつ書いたのか…。

 この手紙は、私に「後生の一大事」を、問いかけています。

2月15日~私が死んだらどうなるのか…。2008年02月17日【66】

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