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3月15日~すべてを受け入れはしない姿勢

 春のお彼岸の季節、いよいよ寒さともお別れです。

 さて、今回もインドでのお話です。
 インドは人口が十一億人、面積が日本の約八倍ととても大きく、現在IT産業なども盛んで、めざましい経済発展を遂げつつあります。

 先般、私が訪問中、インド人のガイド・マダンさんに、「インドは今現在、すばらしい発展をしているが、様々な製品や情報が世界より入ってきて、生活が楽になっていいですね」と話しました。

 するとマダンさんは、「はい、でもインド人は、外国から入ってくるものすべてを、受け入れはしない」と応えました。

 「それどうしてですか」と私が再び聞くと、「生活を便利にするもの、簡単にするものは、インド人がこれまで何百年、何千年という歴史の中で培ってきた大切なものをきっと奪ってしまうからだ。便利なものは、人々から努力することや工夫することを奪う。簡単なものは、人々から考えることや感謝の心を奪う」と応えました。

 考えてみれば日本は、電子レンジや冷凍食品が普及して手作りをするお母さんがめっきり減り、手を合わせて食事をする家族を見かけなくなりました。テレビやゲームが普及して、子どもの学力の低下が叫ばれています。携帯電話やメールで瞬時に意思の疎通が図れる時代なのに、人々の争いは増えるばかり。生活が便利簡単になったはずなのに、離婚は年々増加し、家庭崩壊が危惧される時代です。

 マダンさんは、今、大きく変化しつつある大国インドにあって、このことを心配しているのです。

 私たちも、もう一度自分の生活を省みる必要がありそうです。お金で便利、簡単、スピードを買うことは悪いことではありませんが、失ってしまうものもありそうです。「もったいない、もう少し大切に使えばまだまだ使える」、「少し工夫すれば新しい物を求めなくても…」。

 マダンさんの言う、「安易にすべてを受け入れない姿勢」を大切にしたいものです。

3月15日~すべてを受け入れはしない姿勢2007年03月15日【44】

3月1日~その身かけた真剣な供養

 一雨毎に春が近づいてきます。

 さて、一月から二月にかけて参りましたインドの仏跡参拝旅行では、あらためて多くのことをお釈迦さまに学びました。

 八十歳になられたお釈迦さまは、ヴァイシャリーから生まれ故郷に向かって、最後の旅に出られました。

 来る日も来る日も、至る所で村人に説法をされながらの旅でしたが、パーヴァー村に立ち寄られたときに、お釈迦さまを心から慕う鍛冶職人のチュンダが供養を申し出て、それを受けられました。

 チュンダは最下層の貧しい生活の人でしたが、それでもお釈迦さまに精いっぱいの供養をしたいと思い、きのこ料理を差し出しました。が、残念なことにそれが腐っていて、ご高齢のお釈迦さまはそれが原因で激しい下痢を伴う腹痛に苦しまれ、そして死が決定的になります。

 仏伝によると、実は、お釈迦さまはチュンダの料理が腐っているのを分かった上で食べたと言われます。つまり、最下層の貧しいチュンダの精いっぱいの供養である料理を、有り難く召し上がったというのです。

 また、「チュンダを非難してはならない。チュンダには責任はない。チュンダはすば
らしい食事の供養をしただけだ」と、チュンダをかばい、気配りをされてもいます。

 私は、この供養という言葉に厳しさを感じます。供養とは、仏さまを心から敬いお香や灯、食べ物などを奉ることですが、それは、供養によって代償を求めるのでなく、あくまで仏さまへの尊敬の思いをあらわすものです。

 とても貧しい家庭のチュンダは、自分にできる精いっぱいもの供養をしました。お釈迦さまもそのチュンダの心をうけて、たとえ腐っていようとも有り難く食されました。互いにその身をかけた真剣な行為です。

 そこには、仏さまをお敬いする心以外、何ものも存在しません。
 仏事を勤めるときに、この供養の心を大切にしたいものです。

3月1日~その身かけた真剣な供養2007年03月03日【43】

2月15日~今ここに、その人いまさずは…

 氷の柱と書いてつららと読みます。寒さに弱い私は、テレビで見るだけで充分です。

 さて、一月二十九日から二月九日までの十二日間、仏教の開祖・お釈迦さまの聖地を訪ねて、鹿児島より三十五名の方々をご案内してインドに参りました。

 その内、覚照寺からの参加者が十二名、お寺の勤めにかかわる者として、自分のお寺のご門徒をお釈迦さまのみもとにお連れできることを、大変幸せに思いました。

 旅先では、お釈迦さま誕生の地・ネパールのルンビニー、悟りを開かれた地・ブダガヤなど、各地で皆そろってお勤めをして、参加の僧侶が担当でご法話をしました。私も涅槃の地・クシナガラでさせていただきました。

 その中、一人の僧侶が、「私はお釈迦さまの聖地へ自分で来たのではありません。お釈迦さまから喚ばれて、その声によって参ったのです」とおっしゃいました。

 私は「なるほど」と思いました。お釈迦さまの聖地へ行こうと思い足を運んだのは私だけれども、私がそう思う前に、お釈迦さまが「私のところへ来い」と喚んでいてくださったというのです。

 ふり返れば、この度インドに行ったことだけでなく、普段お仏壇に手を合わすことも、ご先祖の命日に法事を勤めることも、お寺に参詣することも、すべて私がする前に、遠き昔から私に働きかけがあるしるしなのであり、それは私だけでなく、すべての人に等しくかけられた悟りし方の願いなのです。

 一月三十一日、ネパールのホテルで、明け方四時に私が詠んだ拙い詩を紹介します。
 今ここに、その人いまさずは、私の参る寺はない。
 今ここに、その人いまさずは、手を合わす私はない。
 今ここに、その人いまさずは、経を唱える私はない。
 今ここに、その人いまさずは、教えを聞く私はない。
 今ここに、その人いまさずは、私に後生の道はない。
 ああその人よ、偉大なるその人よ。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。

2月15日~今ここに、その人いまさずは…2007年02月13日【42】

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