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8月15日~いのちいとおしむ心を~

 「晩夏」や「残暑」という八月ですが、まだまだ暑さが厳しい毎日です。 

 さて、七月末に東京の参議院会館にて、あのヤンキー先生こと、参議院議員の義家弘介さんとお会いしました。

 義家さんは、若くて人気のある教育者として、安倍内閣の教育再生会議に参加し、その後先の参議院選挙で当選された方です。

 約一時間ほど、楽しく話をさせて頂きましたが、義家さんが私に、「私は長野県出身で、私が幼い頃、お盆が近づくと、今まで飼っていたカブトムシやクワガタを山に返しに行きなさいと大人から言われ、山に返しに行った思い出があります。あれはどういう意味があったのでしょうか」と、聞かれました。

 私は、長野県にそのような風習があることは知りませんでしたが、きっと仏教とりわけ浄土真宗の信仰の篤い地域ですから、「それは、お盆には皆故郷に帰るでしょう。ですから、いつもは人間の勝手で飼われている小さな虫たちも故郷へ、親元へ帰そうという人間の優しさではないでしょうか。また、せめて先祖のご恩を偲ぶお盆の時期だけは、小さな虫たちのいのちまでも大切にしようという尊い心の表れではないでしょうか」と、答えました。

 そして、私はそう答えながら、義家さんの言うような「いのちをいとおしむ心」や風習が、日本から徐々に失われつつあることを残念に思いました。

 「いとおしむ心」とは、小さないのち、弱きいのちにまでも目を向け、自らのいのち同様に尊び大切にする、人間にだけわく感情です。連日のように繰り返される多数の殺人事件は、人からこの心が失われた結果とも言えます。

 お盆は、自分に取り込むことばかりする貪りの心を省みて、施しの心をすすめる仏教行事です。また、帰郷とは、本来親の安否をたずねることを言います。

 お盆に帰郷されたなら、ご家族が集われたなら、ぜひとも皆で、「いのちをいとおしむ心」について、話し合うこともよいのではないでしょうか。きっと有意義なすばらしいお盆になることと思います。

8月15日~いのちいとおしむ心を~2008年08月02日【77】

7月15日~日本人独特の美しさとは…

 冷たく冷やしたスイカがおいしい季節になりました。

 さて、先般、落語家の露の新治さんから一冊の本をお送り頂きました。それは、大阪の相愛大学での講演をまとめたもので、その中に、アレン・ネルソンさんという方の講演録がありました。

 ネルソンさんは、一九四七年ニューヨーク生まれで、海兵隊に入隊しベトナム戦争に参加、除隊後戦争後遺症に苦しみ、それを乗り越えて後、世界各国で講演をされている方で、特に憲法九条の人類史的重要性を強調されています。

 講演録で驚くのは、ネルソンさんの生々しい戦争体験です。戦場では相手の頭や心臓を狙うのではなく、男性の股間の急所を狙い、多くの兵士たちが激痛の中で、泣き叫びのたうち回りながら死んでいく光景を幾たびも目にしたこと。ジャングルでは、相手が睡眠中、またはトイレ中、または食事中であろうが、見つけ次第射殺したこと。戦場での一番の被害者は女性と子どもとお年寄りで、ネルソンさんの軍もベトナムの村を次々に襲い、後にそのことが戦争後遺症で苦しむ原因になったことなど、戦争は、いかに非人間的なものかを話されています。

 その講演の最後にネルソンさんは、こう述べておられます。

 「日本の学校の生徒さんや学生さんを見ると、独特の美しさを見出します。それは何か、戦争を知らない人たちの顔だからです。戦争を知らないというのは具体的に言いますと、あなた方のお父さん、叔父さん、お兄さんを戦争に取られたことがないと言うことです。それこそが私の言う憲法第九条の持つ力なのです。皆さん方はこの第九条によって戦争の悲惨さから守られてきたのです」

 私たち日本人は、自分たちの本当の顔を知らないのかもしれません。ネルソンさんは、日本人の顔には独特の美しさがあると言われ、それは戦争を知らない美しさと言われています。

 私自身も含めて、子どもや孫たちが、その独特の美しさをいつまでも保つには何が大切か、そして、その日本ならではの美しさを世界に広げるにはどうしたらいいのか。夏休みに家族で語り合うのもよいのではないでしょうか。

7月15日~日本人独特の美しさとは…2008年07月16日【76】

7月1日~人間の、逃げ場のない事実

 梅雨空のすき間をぬって差す日の光は、既に夏色です。

 さて、先般、車の運転中に携帯電話が鳴りました。道路脇に車を止めて電話に出ると、友人から久しぶりの電話でした。

 「久しぶりだね。元気にしてた」と、問いかけようとしたのですが、どうも様子がおかしいのです。

 すると、彼は声を詰まらせながら、「母が、母が、突然亡くなりました」と、訃報の電話でした。

 彼のお母さまは、数年前よりご病気になり、自宅で家族の介護のもと療養されていましたが、この度、突然様態が悪くなり急逝されたとのことでした。

 あまりにもの突然の電話で、しかも悲痛な知らせに、私は言葉も出ず、彼の言葉に耳をかたむけるのが精いっぱいでした。

 「人、独り生まれ独り死し、独り去り独り来たる。身みづからこれを当くるに、代わるものあることなし」という言葉がお経にあります。

 人は、普段家族や知人と一緒に生活をしているようであるが、結局は独りで生まれ独りで死んでいかねばならない。その逃げ場のない事実は、誰とも代わることができない。それが人間の現実なのだということです。

 私は、彼の悲痛な言葉を耳にしながら、このお経の言葉は、お亡くなりになった方がその身をもって示される、人間の厳しい現実ですが、それと同時に、この世に残された方に迫る現実であることを教えられました。

 心から大切に思う人に先立たれ、この世に残された者の孤独。愛する人から先立たれ心の支えを失った者の孤独。「独り生まれ独り死し、独り去り独り来たる」という、この「独り」という言葉は、どうあがいても独りで去らねばならない、厳しい人間の現実とともに、この世に残された人間の、厳しい現実を表していることに気付かされます。

 私は、ただただお念仏を申し、このお経の言葉を深く味わうばかりでありました。

7月1日~人間の、逃げ場のない事実2008年06月30日【75】

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