こころの電話

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11月15日~知らず知らずのうちに…。

 先月末より、急に寒さが厳しくなりました。

 さて、十月中旬、京都の大谷本廟の「龍谷会」にお参りに行きました。

 大谷本廟は宗祖親鸞聖人の墓所であり、また全国のご門徒方のご遺骨が安置されているところです。「龍谷会」とは大谷本廟で勤める「報恩講」。親鸞聖人のご遺徳を偲びそのご恩に感謝する法要で、当日は晴天のなか、大変厳粛な法要が勤まりました。

 その夜に行われた会で、私は、西本願寺のご門主さまのごあいさつをお聞きするご縁に恵まれました。

 ご門主さまは、浄土真宗のみ教えをいただくことについて、車のハンドルとエンジンに喩えてお話しをされました。教えを聞くということは、正しい生き方を選ぶ、正しい筋道を学ぶということで、これを車のハンドルに喩えられました。
 
 次に、方向が定まったならば車は前進します。つまり教えを受け止めた生き方を示す。教えが体で感じられるような生き方をする。それをエンジンに喩えられました。

 大きな会場で、末席の私はすべてが聞き取れず、また、ご門主さまのお考えのごく一部しか聞き得てないのかもしれませんが、私はそのように拝聴し受け止めました。そして、そのことを自分自身の生き方に照らしたときに、簡単そうでなかなか難しいことだと思いました。

 正しい教えを確かに受け止めた、これは間違いのない方向だと思っていても、時間が経てば、私の頭は、知らず知らずのうちに自分の得手勝手の方向へ向いています。

 正しい教えを真摯に受けて生活をしようとするのですが、これも知らず知らずのうちに自分の得手勝手な生き方をしています。問題は、そのことになかなか気付かないということです。誤った方向に進んでいることに自分では気づかない。それが本当の迷いであり、愚かさであります。

 私の人生に、ピカピカの新車も高価な外車もいりません。真実の方向へ正しく進む車がほしいと思います。それには、仏さまのお話を重ねて重ねて聞くしかないと、先輩念仏者は勧めておられます。

11月15日~知らず知らずのうちに…。2008年11月03日【83】

10月15日~これが何よりの頼み…。.

 秋空といえば鰯雲ですが、高度五㎞から十三㎞の空に、氷の結晶からできた魚のうろこのように見える雲のことです。

 さて、十月中旬、お寺に併設される幼稚園、保育園の職員研修旅行で、知覧の「平和特攻記念館」にまいりました。先の大戦で、特攻隊員として若い命を終えた一〇三五名の遺書や遺品等が展示されているところです。

 若い先生方と一緒に拝観し、あらためて「不戦の誓い」を確認し合いましたが、ここには、浄土真宗の信仰という意味からも大切なものが残されています。石川県のご出身で、二十二歳でお亡くなりになった石倉三郎大尉にお母さまから宛てられたお手紙です。

 「バクダンかかえて行く時は 必ず忘れまいぞ(ナムアミダブツ)ととなえてくれ。これが母の頼みである。これさえ忘れないでいてくれたら 母はこの世に心配事はない。忘れないで となえてくれ。この次会う時は、(アミダ様)で会おうではないか。これが何よりも母の頼みである。忘れてはならないぞ。母より」

 ここには、わが手から離れていく息子に対する親の深い願い、また浄土真宗のみ教えの要が記されています。

 いざというときは、ナムアミダブツと称えなさい。これが母の頼みと言われ、忘れるなとも言われます。人間いざというときは、お金も、地位も、名誉も、家族も、この母親でさえたよりにならないぞ、たよりになるのは阿弥陀さまが「まかせよ、必ず救う」と誓われたお念仏一つと、強く諭されます。

 そして、お母さまはこれで最後の別れとは言われません。この次阿弥陀さまのお浄土で会おうではないかと力強くおっしゃっています。お念仏を称える人は、また再びお浄土の世界で必ず会えるという阿弥陀さまの誓いに、確信を得た言葉です。

 最後にお母さまは重ねて、「これが何よりの頼み、忘れてはならないぞ」と力を振り絞って字を書かれています。

 私は、この手紙を拝見する度に、私にかけられた阿弥陀さまからの声に見えるのです、聞こえるのです。

10月15日~これが何よりの頼み…。.2008年10月18日【82】

10月15日~そんなあなたでいいのですか?

 連日雨模様です。めっきり肌寒くなりました。

 さて、先日より台風十三号、十五号と、似通ったコースをたどりつつありますが、町でご門徒方とお会いするたびに、その話になります。

 農業を営む方は、「せっかく育てた稲穂が倒れる被害が起きるので、絶対に来て欲しくない」とおっしゃいます。

 建設・土木をなりわいとされている方は、「仕事もめっきり少なくなった今日、台風がちょっとくらい来て、少々の被害でも出ないと仕事がない」とおっしゃいます。

 子どもたちは、「台風が来れば学校が臨時休校になるからうれしいな。早く来ないかな」と、口々に言います。私も幼いときに、同じようなことを口にしていた記憶があります。

 ご門徒や子どもたちだけではありません。幼稚園の園長を務める私も同様です。「台風が来れば、近々開催の運動会が運動場でできない。どこか長崎か四国にでも行ってくれればいいのに…」、そんなことを思い、また口にします。

 農業をされている方、建設・土木の関係者の方、子どもたちや幼稚園をお預かりする私も、それぞれの立場から、台風に対するそれぞれの思いを話します。特に、直接生活にかかわる方の切なる言葉は、本当にその通りだと思います。

 しかし、ここで少し考えたいのは、「こちらに来て欲しくない。どこかほかの地域へ行け」と思うことは、裏を返せば「自分さえ助かればいい」ということにつながります。

 また、「こちらに来て少々の被害があれば…」と思うことも、裏を返せば「自分さえ良ければいい」ということにつながります。

 私自身が、「自分の幼稚園の園児のために、台風がこちらへ来ないように」と思うことも、裏を返せば「他の地域の幼稚園や保育園の園児はどうなってもいい」と言っていることと同じです。

 人は、いざとなると、つい自分だけの立場や思いで、判断しがちになるものです。「同じいのちを持つものとして、そんなあなたでいいのですか?」と、いつも休まず問いかけて下さる方が仏さまなのです。

10月15日~そんなあなたでいいのですか?2008年09月30日【81】

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