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12月15日~ まことあることなき世界に…
日めくりカレンダーもあとわずか、いよいよ年の瀬です。
さて、今年も様々なことがありました。喜ばしいことでは、オリンピック北京大会における水泳・北島選手の二連覇や女子ソフトボールの優勝。また柔道やフェンシング、レスリング、体操における日本人選手の活躍。日本人四人のノーベル化学賞・物理学賞受賞がありました。
悲しいことでは、千葉県房総半島沖で起きたイージス艦と、親子二人が乗った漁船の衝突。死者七人を出した東京・秋葉原の通り魔事件や元厚生事務次官の殺傷事件。日本の政治は福田内閣から麻生内閣へとなりましたが、相変わらずの迷走を続けています。
世界的には、中国製ギョーザの農薬混入事件。チベットでの大規模な民衆暴動。また死者・行方不明者九万人以上を出した中国四川省での大地震。そして、アメリカ初の黒人大統領バラク・オバマ大統領の誕生。百年に一度という世界的な大不況などがありました。
思いつくままに申しましたが、あなたはいくつ覚えておられたでしょうか。恥ずかしいことに、私は思い返すまでほとんど忘れていました。人間の記憶とはあいまいなものです。また、残念ながら今年も、喜ばしいことよりも悲しいこと辛いことの方が多かったように思います。
親鸞聖人は『歎異抄』のなかで、私たちの住む世界を、「火宅無常の世界」とおっしゃいました。火宅とは火のついた家のように危険なこと、無常とは常に変化してやまないことです。そしてその世界は、「よろづのことみなもつて、そらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」とおっしゃいました。
「お念仏だけが真実である」。様々な事件や事故に直面する度に、この言葉が心に深く突き刺さります。
来年も、覚照寺テレホン法話をよろしくお願い致します。
なお、覚照寺の元旦・修正会は、一月一日の午前八時より勤めます。ぜひ、ご参拝ください。
12月15日~ まことあることなき世界に… | 2008年12月16日【86】
12月16日~ 広い海ならこんなことはないのに…
早いもので、二〇〇八年もあと一ヵ月で終わろうとしています。
今月、十一日、十二日、十三日は、覚照寺の報恩講法要です。皆さまお誘い合わせの上、お参りください。
さて、数年前、朝日新聞にタレントのさかなクンの記事が掲載されていました。さかなクンは東京海洋大学の客員准教授で、海洋学の専門家でもあります。
その記事には魚の習性について書いてありました。メジナという魚は海の中で仲よく群れをなして泳いでいます。ところが、この魚を狭い水槽の中に一緒に入れたら、一匹を仲間はずれにして攻撃し始めたそうです。
ケガをしてかわいそうで、その魚を別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の一匹をいじめはじめたそうです。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。逆にいじめっ子を別の水槽に出しても新たないじめっ子があらわれたそうです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士。広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まります。
さかなクンはこの魚の世界を、いじめの多い、人間の子どもたちの世界にたとえて、「大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう」と問いかけています。
思えば、親鸞聖人も、阿弥陀如来の智慧とお慈悲のあふれた世界を本願の海・本願海とおっしゃいました。これは阿弥陀如来の願いがかけられたものが住まう世界であります。
この世界は、自分だけを良しとする自己中心な心を、広く豊かな心に変えるはたらきがあります。また、一人として分け隔てされることなく、一人ひとりが等しく大切にされる世界であります。さらに、差別や争いが起こらぬよう皆が共に努める世界でもあります。
子どもから大人まで、私たちの住む世界が、そのような世界になりますよう、共々に努めたいと思います。
12月16日~ 広い海ならこんなことはないのに… | 2008年12月01日【85】
11月16日~ 「おかあさん」と、いっぱい呼んで…
秋冷といわれますが、日中はまだ暖かな日が続いています。
さて、先般、大阪から来られた布教使の先生が、ご法話の中で次のような詩を紹介くださいました。小学生六年生の中村良子さんが書いた詩で、その先生にお許しを得てご紹介致します。
今日の宿題は つらかった 今まででいちばんつらい宿題だった
一行書いては なみだがあふれた 一行書いては なみだが流れた
「宿題は、お母さんの詩です。」先生は そう言ってから「良子さん。」と 私を 呼ばれた
「つらい宿題だと思うけど 頑張って書い てきてね。お母さんの思い出と しっか り向き合ってみて。」
「お母さん」と一行書いたら お母さんの笑った顔が浮かんだ
「お母さん」と もう一つ書いたら ピンクのブラウスのお母さんが見えた
「おかあさん」と言ってみたら 「りょうこちゃん」と お母さんの声がした
「おかあさん」と もう一度言ってみたけど もう 何も 聞こえなかった
がんばって がんばって 書いたけれど お母さんの詩はできなかった
一行書いては なみだがあふれた 一行読んでは なみだが流れた
今日の宿題は つらかった 今まででいちばんつらい宿題だった
でも 「お母さん」と いっぱい書いて お母さんに会えた
「お母さん。」と いっぱい呼んで お母さんと話せた
宿題をしていた間 私にも お母さんがいた
なんと、せつない詩でしょうか。胸が締め付けられるような思いがします。
しかし、良子さんは、詩の最後の方で、「お母さん」といっぱい書いてお母さんに会えた。「お母さん」と いっぱい呼んで お母さんと話せたと言っています。
「南無阿弥陀仏」。この詩は、良子さんとお母さんとの深いつながりとともに、お念仏をいただく私たちに、み親の名を呼ぶ尊さを教えてくれています。
11月16日~ 「おかあさん」と、いっぱい呼んで… | 2008年11月16日【84】