こころの電話

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9月1日~沖縄でのある出来事…

 先月末から、朝夕めっきり冷え込んで、はや秋の気配です。

 さて、私事ですが、八月初旬に子ども二人を連れて沖縄に旅行に行きました。お寺、幼稚園、保育園をお預かりしていますと、おおよそ一年中休みはありません。日頃父親としてままならない私の、子どもたちへの精一杯のサービスです。

 二泊三日の旅行でしたが、子どもたちは沖縄の青い海を満喫し、最終日に数年前に出来たという「水族館」を見学していた時のこと、私の携帯電話が鳴りました。

 電話の内容は、東京から依頼されていたお仕事の件で、十数分間やりとりがありました。私は、そつなく対応しながらも、「せっかくの休暇なのに、はるばる沖縄までなぜ電話をしてくるのか」、「それほど急ぎの内容でもないのに、わざわざここまで電話をして…」と、心の中ではいささか不満でした。

 そして、その電話を切ったときです。隣にいた若い女性二人が、「園長先生こんにちは。いつもお世話になります」と笑顔であいさつをされました。私は驚いて、「どちらさまですか」と聞くと、鹿屋市の幼稚園の先生たちで、休暇を取って沖縄旅行に来られたとのことでした。

 「有り難う。楽しんでくださいね」とその場を別れたのですが、私はその先生方の姿勢がすばらしいなと思いました。幼稚園の仕事を離れ休暇を取っての旅行です。私は、彼女たちの名前も顔も知りませんから、彼女たちは知らぬふりをしようと思えばできたはずです。しかもほかの園の園長です。素通りをしようと思えばできたはずです。

 しかし、彼女たちは自分から笑顔で元気にあいさつをしてくださいました。そのすがすがしさに私は心を打たれるとともに、東京からの仕事の電話一本で愚痴をこぼした自分自身が恥ずかしく思えました。

 仏教に、顔という字に施しと書いて「顔施」、自分から笑顔で人に接する布施がありますが、その大切さをこの幼稚園の先生方から教えられました。

9月1日~沖縄でのある出来事…2008年09月01日【79】

8月15日~口をついて出てくる言葉~

 お盆が終わりました。今年は、北京オリンピックもあって、ひときわにぎやかなお盆になりました。

 オリンピックでは、地元中国の応援あふれる中、大きなプレッシャーを抱えた日本人選手が精いっぱい健闘する姿がとても印象的でした。

 メダルに手が届いた選手、残念ながら届かなかった選手、期待されながら一・二回戦で敗退した選手さまざまですが、いずれの選手も、競技の内容はもちろんのこと、私には競技後の発言が日本人らしくすばらしく感じました。

 メダルに手が届いた選手たちは、「ここまで来られたのも応援してださった皆さんのおかげです」、「この喜びをこれまで支えてくださった方々と味わいたい」と話しました。敗退した選手たちも、「これまで支えてくださった皆さんに感謝したい」、また「応援してくださった方々に申し訳ない」と話しました。いずれの選手も、日本を代表する立派な選手たちだと、私は思いました。

 漢字の「恩」という字は、原因を心にとどめると書きますが、自分自身に、どのようなことがはたらき、今日現在の自分あるのか、その原因を心にとどめるということです。仏教では大きく分けて四つあるといわれます。

 一つはこの世に命を恵み育ててくれた両親の恩、二つにはさまざまなことを教えてくれた先生の恩、三つには日本という国で学び育つことができた国や社会の恩、四つには物心両面で支えてくれた人々の恩ということです。

 オリンピック選手が、あの世界の大舞台にたつまでにさまざまな支援があったことはおおよそ推測できます。試合後それらのご恩に対する感謝の言葉が、口をつくように出てくることが私はすばらしいと思いますし、テレビを通じてそれを聞く子どもたちに大変よい影響を与えてくれると思います。

 私の日暮らしには「恩」という陰の力がはたらいています。そのはたらきがあるからこそ人は生きていくことができます。オリンピック選手の一人ひとりの言葉に、そのことをあらためて教えられました。

8月15日~口をついて出てくる言葉~2008年08月17日【78】

8月15日~いのちいとおしむ心を~

 「晩夏」や「残暑」という八月ですが、まだまだ暑さが厳しい毎日です。 

 さて、七月末に東京の参議院会館にて、あのヤンキー先生こと、参議院議員の義家弘介さんとお会いしました。

 義家さんは、若くて人気のある教育者として、安倍内閣の教育再生会議に参加し、その後先の参議院選挙で当選された方です。

 約一時間ほど、楽しく話をさせて頂きましたが、義家さんが私に、「私は長野県出身で、私が幼い頃、お盆が近づくと、今まで飼っていたカブトムシやクワガタを山に返しに行きなさいと大人から言われ、山に返しに行った思い出があります。あれはどういう意味があったのでしょうか」と、聞かれました。

 私は、長野県にそのような風習があることは知りませんでしたが、きっと仏教とりわけ浄土真宗の信仰の篤い地域ですから、「それは、お盆には皆故郷に帰るでしょう。ですから、いつもは人間の勝手で飼われている小さな虫たちも故郷へ、親元へ帰そうという人間の優しさではないでしょうか。また、せめて先祖のご恩を偲ぶお盆の時期だけは、小さな虫たちのいのちまでも大切にしようという尊い心の表れではないでしょうか」と、答えました。

 そして、私はそう答えながら、義家さんの言うような「いのちをいとおしむ心」や風習が、日本から徐々に失われつつあることを残念に思いました。

 「いとおしむ心」とは、小さないのち、弱きいのちにまでも目を向け、自らのいのち同様に尊び大切にする、人間にだけわく感情です。連日のように繰り返される多数の殺人事件は、人からこの心が失われた結果とも言えます。

 お盆は、自分に取り込むことばかりする貪りの心を省みて、施しの心をすすめる仏教行事です。また、帰郷とは、本来親の安否をたずねることを言います。

 お盆に帰郷されたなら、ご家族が集われたなら、ぜひとも皆で、「いのちをいとおしむ心」について、話し合うこともよいのではないでしょうか。きっと有意義なすばらしいお盆になることと思います。

8月15日~いのちいとおしむ心を~2008年08月02日【77】

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