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2月1日~大不況の世の中だからこそ…
二月は如月、夜空には満天の星が輝く季節です。
さて、昨年末より、世界的な不況が続いていますが、テレビでは毎日のように、「百年に一度の大不況」という言葉が飛び交っています。
しかし、あまりにも「大不況」という言葉が氾濫しますと、心までもが萎縮し、世の中から元気や明るさが失われていくような感じもします。
私の知り合いに、観光ホテルを経営している女性の社長さんがおられます。以前はそのご主人が社長をされていたのですが、十数年前、ご主人が病気で突然亡くなられたのです。
そして、必然的に奥さまが女性社長として後を継ぐことになりました。ホテルの経営などまったく経験がなかったので、ご主人を亡くした悲しみと共に一方では大変戸惑われたそうです。
ホテル経営の勉強会に行ったり、一生懸命に努力するのですが経営がうまくいきません。お客はめっきり減り、社員にも活気がなくなり、世の中は不況で、結果とうとう赤字状態になり、どうしようもなくなりました。
社長さんは途方に暮れて、普段よりご縁のあったお坊さんに相談に行きました。そして、「私は精いっぱい努力しましたが、景気は悪くお客さまは減り、社員も思うように働いてくれず、もうどうしようもありません」と言いました。
すると、そのお坊さんは高笑いをして、「だろうな、あなたのような暗い顔をした社長がいるホテルに誰が行くものか。観光ホテルは、普段一生懸命仕事をしてる人たちが、休養や楽しみを求めて行くところだ。社長が暗い顔をしていたら社員もそうだろう。料理もホテル全体も暗いだろう。誰がそんなホテルに行きたいと思うか」と、話されたそうです。
その言葉を聞いて、社長さんは目が覚めました。自分はなんのためにホテル業をやっていたのか、誰のためにやっていたのか、誰と一緒に仕事をやっていたのか、社長としての自分に与えられた仕事はなんだったのか。経営がうまくいかない原因をすべてを世の中や人のせいにして、見失っていたものに気づかされたそうです。
不況が叫ばれる世の中だからこそ、できることはないでしょうか。
2月1日~大不況の世の中だからこそ… | 2009年02月02日【89】
1月15日~誰も代わってはくれない。
イスラエル軍とパレスチナの紛争はいつ停戦するのでしょうか。犠牲者が千人を超え、しかもその中に女性や子どもたちが多数含まれると聞きます。誠に痛ましく何とか話し合いの場をと願わずにはおれません。
さて、「昨日の明日、明日の昨日」という言葉があります。持って回った表現ですが、実は「今日」のことです。私たちの人生において、この「今日」という日が来て欲しくなかった。「今日」という日を信じられないということがあります。
今月十二日の夜、隣のお寺の若院さんから、「父が今日亡くなりました」というお電話を突然いただきました。父とはご住職のことです。一夜のうちに急逝されたとのことです。
十二月初旬に、報恩講にお参りしお話をしたばかりでした。訃報を聞いて、私はさっそく出向きお勤めをしたのですが、布団にお休みになるご住職のお姿を目にしたとき、何とも口では言い表せないむなしさにかられ、頭なのかが真っ白になり、普段諳んじているお経のご文が口から出てきません。坊守さんも若院さんも涙を流しながら聞いておられました。
人生とはなんとはかないものでしょうか。また明日会えるとということがかないませんでした。そして、今日この日が信じられない、いや信じたくないことが起きるのです。
私は『仏説無量寿経』の中にある「人は、一人で来たりて一人で去るものである。人は、一人で生まれて一人で死んでいくものである。そのいのちの現実を誰も代わってくれるものはいない」というお言葉を、その場でまざまざとかみしめました。
十五日に大隅地区十四のお寺のご住職によってお葬儀が執りおこなわれ、多くのご門徒方が会葬くださいましたが、亡きご住職への感謝と共に、「誰も代わることのできないいのちの現実」を、一人ひとりが深く心にとどめることでした。
1月15日~誰も代わってはくれない。 | 2009年01月16日【88】
1月1日~いつも和(やわ)らかな心で…。
あけましておめでとうございます。二〇〇九年・平成二十一年の年明けです。 今年も「覚照寺・心の電話」をよろしくお願い致します。
さて、覚照寺では一月一日元旦の朝、年が明けて最初の法要「修正会」を勤めました。寒さの中、ご門徒が家族連れでたくさんお参りされ、皆がそろって「お正信偈」を元気にお勤めし、その後、ご酒盃をいただきました。
私もご門徒といっしょにお勤めしましたが、一方では大変気がかりなことがあります。それは、昨年末から再び始まったイスラエル軍とパレスチナのハマスとの戦争です。イスラエル軍はパレスチナ自治区ガザへの空爆を拡大し、昨年末の時点でパレスチナ側の死者数は335人、負傷者は800人と言われています。
親鸞聖人は、「世のなか安穏なれ 仏法弘まれかし」と、この世が平和なることと、仏法が弘まることを切に願われましたが、親鸞聖人のご法要に向けて準備を進める私たちにとって、誠に残念で悲しいニュースです。
親鸞聖人が、心の師として、また親のように慕われた方に聖徳太子があります。日本において初めて深く仏教を学び信仰され、また多くの方々にそれを勧められた人ですが、その聖徳太子が有名な「十七条憲法」で、「和を以て貴しとなす」といわれました。「この世界は、争いがなく平和であることが最も貴い」と言うことですが、私は、「和らかなる心を以て貴しとなす」という意味も含まれていると理解しています。
つまり、「いつも心を和らかに、柔軟な心をもって人や物事と接する」ということです。私たちが日常生活していく上では様々なことがあります。時には他人との摩擦が生じたり、思いもしない出来事に遭遇することもあります。そのようなときも含めて、「いつも心を和らかに、柔軟な心をもって接する」ということです。
今年一年が、私たち一人ひとりにとって、、和らぎのあふれる世のなかになりますよう、共々に努めてまいりましょう。
1月1日~いつも和(やわ)らかな心で…。 | 2009年01月02日【87】