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9月15日~うわべだけの見方こそ…

 新型インフルエンザが次第に広がりつつあります。手洗いやうがいをこまめにしましょう。

 さて、秋のお彼岸が近づいてきましたが、お彼岸は、普段の自らの生活を顧みる大切な期間です。

 今より遙か昔、インドであった出来事です。インドの北部、山岳地帯に一人の修行僧がいました。名前は周知されてはいませんが、大変厳しい修行を積んだ真面目でりっぱなお坊さんでした。

 その修行僧が久しぶりに都に降りてくると、ちょうど都では、王さまがお寺にたくさんのお坊さんを招いてご供養をされているところで、その修行僧もご供養を受けようと、お寺に行きました。

 すると、修行僧の衣があまりにもボロボロだったので、門番はこじきではないかと思い、「わたしは僧侶です」と幾度となく言っても、信用してくれませんでした。

 そこで、修行僧は、友人の僧侶のところへ行き、立派な衣を借りて再度お寺の門へ行くと、門番は深くお辞儀をして、丁寧に中へ通してくれました。

 お寺の中に案内された修行僧の前には、次々にご供養のごちそうが運ばれてきました。すると、修行僧はそれらを食べることなく、身につけていた立派な衣を脱いで、その衣の前にごちそうをおきました。

 それを見た王さまは、「どうして私の供養を受けてくださらないのですか」と聞きました。すると修行僧は、「わたしがボロボロの衣を身につけていると、この食事はいただけなかった。立派な衣に着替えたらこのご供養を受けたので、ご供養は私にではなく、このきれいな衣にされたものだ」と、こたえました。

 わたしたちは、ともすると、うわべだけを見て人を判断しがちです。上等の服を着ている人は立派な人、ボロで安い服を着ている人はよくない人と見てしまいます。このうわべだけでの見方こそ偏見と差別のスタートです。この物語は、その人間の浅はかさを伝えています。

(参考:仏教法話大辞典・すずき出版)

9月15日~うわべだけの見方こそ…2009年09月16日【104】

9月1日~一隅を照らすということ

 朝夕はめっきり涼しくなりました。

 さて、八月末の 政権選択を最大の争点とした衆院選は、政権交代を訴えた民主党が圧倒的な勝利を収めました。近々開催される特別国会で鳩山由紀夫代表が首相に選出され、「鳩山内閣」が誕生することでしょう。

 社会に格差と貧困が広まり、普通の人がごく普通に働いて、普通の生活を送ることが困難になった日本に、有権者の審判が下ったと言えます。国民の一票に託す思いが積み重なって、政治を根底から突き動かしました。

 新内閣には、その国民の切なる願いをぜひとも叶えてほしいと思います。

 さて、天台宗の伝教大師最澄の言葉に、「経寸十枚、是れ国宝に非ず。一隅を照らす、此れ則ち国宝なり」というものがあります。

 「直径が一寸もある見事な珠があったとて、それは国宝ではない。社会の片隅にあって、世の中を照らしている人こそ、真の国宝である」という意味で、とても有名な言葉です。

 この「一隅を照らす」という意味について、仏教評論家のひろさちやさんは、テイクパートの精神だと説明されます。テイクパートとは、「自分に与えられた役目を果たすこと」という意味で、ときに「参加」とも訳され、「オリンピックは勝つことでなく、参加することに意義がある」というときと同じ意味です。

 人はそれぞれ、家庭で、地域で、仕事場で、役目を背負います。小さな役目の人は小さな役目でかまいません。大きな役目の人はその大きな役目を果たさなければなりません。

 おごることなく、高ぶることなく、怠けることなく、比べることなく、それぞれ与えられた役目を精いっぱいお勤めする。「一隅を照らす」とは、その大切さを教えてくださる言葉です。

 新内閣にもお願いしたいですし、自分自身も心がけたいと思います。

9月1日~一隅を照らすということ2009年09月01日【103】

8月16日~今生で別れはあろうとも…

 今年も覚照寺の初盆法要には、たくさんのご門徒方がお参り下さいました。

 さて、今年のお盆は、私にとっていつになくさみしいお盆になりました。

 それは、今月初旬、長年ご指導いただき、また親しくおつき合いさせていただいたお寺のご住職・M先生がお亡くなりになったからです。

 M先生は、日ごろからとても元気な方で、人望も厚く、お寺の住職はもとより、西本願寺の要職もお勤めになっていらっしゃいました。

 一昨年の秋頃、体に癌が発見され、最悪余命三ヵ月と宣告されます。

 それより、奥さまやご家族のお世話のもと、闘病生活が始まりました。とはいえ、様々な要職をお持ちでしたので、それらを務めながらの闘病です。

 私は、時折お会いしていましたが、次第に痩せていく体を見ながらただただ心配することしかできませんでした。逆にM先生は、お会いするたびに、いつもお坊さんとしての務めを熱心にお話になりました。

 先月中旬頃より様態がさらに悪化し、病院のベットに横になる日が多くなりました。私がお見舞いに行くと、既に身体はお元気な頃の半分以下になっておられました。M先生はそのような状態にありながらも、起き上がり声を振り絞って、「西本願寺をさらに人々の悩みや苦しみにこたえられるお寺にしなければ…」と、僧侶としての責務を一生懸命お話になり、私はそのお姿にただただ心から敬服するばかりでした。

 今月初旬、私がお見舞いに行った翌日にM先生は、お浄土に往生されました。余命三ヵ月の宣告からおおよそ二年近く経っていました。大病の中にありながらもそれほどいのちを保たれたのは、奥さまやご家族の献身的なお世話、そしてM先生の僧侶としての責任感・使命感ではなかったかと思います。

 とても気さくで親しみやすく、笑顔がすてきなお坊さんでした。お経の中に、お念仏をいただくものは、今生で別れはあろうとも、また必ず阿弥陀如来のお浄土で会うことができると誓われています。その「倶会一処」のお言葉を深く頂きたいと思います。

8月16日~今生で別れはあろうとも…2009年08月16日【102】

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