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2月1日~現世祈祷などにたよらない
五十二年ぶりに新燃岳が大爆発をしました。全国の知人より、「あなたの所は大丈夫ですか」、「気をつけてくださいね」と、電話やメールを頂きます。誠に有り難く思います。
さて、節分を来月に控え、町のお店などでは恵方巻きの宣伝を見かけるようになりました。
恵方巻きとは、節分の夜に、その年の干支に基づいた方角に向かって、海苔巻きを一本丸ごと切らずに食べると縁起がよいとされる風習ですが、のどに詰めたら元も子もありませんので、気をつけていただきたいものです。
この恵方巻きのように、日本には様々な風習や、迷信、俗信、また祈祷や占いがありますが、お念仏のみ教えを頂く者は、これら一切の現世祈祷などに頼らないというのが、浄土真宗の教えの大きな特徴です。
私たちが人生を送る上では、様々な願いがあります。お金を儲けて豊かになりたい。病気をせずに長生きしたい。交通安全や家内安全、また入試シーズンになると、どうか合格しますようにという願いも出てきます。
これらは私たち庶民の純粋で切なる願いではあるのですが、果たしてこの願いを神さまや仏さまに振り向けるのはいかがなものでしょうか。
お金を儲けるというのは政治や経済の問題です。病気は医療や日頃の節制・検診の問題です。交通事故は何より日頃の安全運転、そして車の運転は事故の危険を承知の上でしなければなりません。また私の合格祈願は、逆に他人の不合格を願うことにつながります。
おおよそこれらは、自分だけの表面上の幸せ、自己中心的な欲望を神さまや仏さまに願っていることに他なりません。
浄土真宗は、この人間が持つ心の弱さに支配されない、真に心豊かな人生の有り様を目指します。その人生は、阿弥陀如来から私にかけられた真実の願いを、重ねて重ねて聴聞することによって開かれるのです。
2月1日~現世祈祷などにたよらない | 2011年01月28日【137】
1月16日~タイガーマスクに学ぶ。
この冬一番の寒波到来、朝、鐘をつく手も凍りそうです。
さて、この年末年始の話題は、タイガーマスクの登場でしょうか。
昨年十二月二十五日、マンガの主人公・伊達直人を名乗る人物から、群馬県の児童相談所へランドセルが送られたことを皮切りに、全国各地の児童施設に寄付行為が相次ぎ、一月十五日時点で確認された寄付の件数は約七〇〇件、現金や商品券だけでも二,四〇〇万円を超えたそうです。
この運動について、世の識者は、「世の中に恩返しがしたいと思う世代が、直接的かつ謙虚に、まねしたくなる行為」、また「タイガーマスクを見て育った世代の人が、遊び感覚で気軽にできた行為」、「後からは比較的若い世代も加わって、インターネットを通じてお祭り感覚で、自分たちで善意のブームを広げようとした行為」と論じています。
現在、虐待をはじめとする様々な家庭環境の不良によって、児童養護施設への入所が増加の傾向といわれる残念な状況の中で、今回のような善意の輪が広がることは喜ばしいことです。
これらの報道を耳にするたびに、私自身も、社会に報謝させていただくことの大切さを学ぶことですが、同時にその難しさも感じます。
このような寄付の行為を仏教では布施といいますが、まわりに自己の所有の物を与えて、そのものに対する執着心を取り除くための行とされ、他に与えることによって自分の執着の心が払われるところに意味があります。
つまり、寄付をする側が、「自分より不幸な人や、また社会に対して良いことをしたんだ」というおごりの心を少しでも持ったり、また自己満足に陥っては、正しい布施にならないということです。
自分自身の心の内を顧みるとき、その難しさを感じますが、逆にそこを見つめることが、この運動がブームや祭りではなく、一過性に終わらないようにするための大切な部分でもあるように感じます。
1月16日~タイガーマスクに学ぶ。 | 2011年01月18日【136】
2011年1月1日~大切な三無主義を
あけましておめでとうございます。二〇一一年・平成二十三年の年明けです。
今年も「覚照寺・心の電話」をよろしくお願い致します。
覚照寺では元旦の朝、年が明けて最初の法要「修正会」を勤めました。寒さの中、ご門徒が家族連れでたくさんお参りされ、皆そろって「お正信偈」を元気にお勤めし、その後、ご酒盃をいただきました。
さて、何事にも便利、簡単、スピードが優先される社会にあって、どのような生き方が大切か。ある仏教雑誌に、長年教育に従事された竹下哲先生が大切なポイントを述べられていました。
第一に、「無理をしない」ということです。普段の生活を振り返ってみてはいかがでしょう。時間的に、経済的に、いろんな無理をしてはいないですか。何事にも少しゆとりのある、控えめな生活が大切です。
第二に、「無駄をしない」ということです。衣食住、生活全般にわたって必要最小限にして慎ましく生活することです。食べ残しはないですか、無駄遣いはないでしょうか。
第三に、「無精をしない」ということです。年を重ねてくるとついつい、身近な雑事を周囲の人に頼りがちになります。日常の中で、自分で出来る範囲のことは、自分で行うことが大切です。
竹下先生は、この「無理をしない」「無駄をしない」「無精をしない」の三つを三無主義と言われました。現代の若者を評した「無気力、無感動、無関心」の三無主義とは大違いです。
現代はネット社会といわれます。情報を得るにも、買い物をするにも、お仕事をするにも、すべてがインターネットを中心にした生活です。
しかし、どのように時代が変わろうとも、一度きりの限りあるいのちを持ちながら生きる人間が、大切にすべき基本的な生き方があります。
竹下先生の三無主義に学びましょう。
2011年1月1日~大切な三無主義を | 2010年12月31日【135】