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6月16日~今、やらなばならないことは…。
「よく雨が降りますね」、最近のお互いの挨拶言葉です。
さて、唐突ですが、お釈迦さまご在世のころのお話です。
お釈迦様のお弟子のマールンキャープッタは、とても理屈っぽい人で、人間の存在やこの世界について、哲学的に十分納得できなければ修行に励むことをしなかったそうです。
お釈迦さまは、そんなマールンキャープッタに対して、「ある人が毒矢で射られたとする。もしもその人が、かけつけた医者に対して、この矢は誰が射たのか、弓はどのようなものか、ツルは何でできているか、矢羽根は、どんな鳥の羽であるか、わからないうちは矢を抜くな」と言ったなら、その人は、それがわかる前に死んでしまうであろう。今必要なのは、まず毒矢を抜いて、急いで手当をすることである」と語り、理屈をこねる前に、まず修行を勧めたといわれます。
東日本大震災で被災され、避難生活を余儀なくされている方がまだ約九万人おられるのに、政治では菅首相の退陣をめぐり与野党の激しい駆け引きで混乱しています。政治家が今、早急に毒矢を抜き手当をしなければならないことは何でしょうか。
福島第一原発の復旧作業がなかなか思うようにいきません。多くの方々が強制的に避難を強いられている中で、東京電力や政府を一方的に非難したり、脱原発の声も聞こえます。
東電や政府が責めを負うのはやむを得ませんが、しかし新聞によると、私たち日本人一世帯の電力の消費量は、ここ四十年間で二,四倍に増えているそうです。この現実を見るとき、今、私たちが日本人が個人的に、あるいは国というレベルで取り組まねばならない課題は何でしょうか。
今やらねばならないことは何か。
一時的な感情や報道に振り回されることなく、確かな目で物事を見つめ、すみやかに行動できる冷静さを持ちたいものです。
6月16日~今、やらなばならないことは…。 | 2011年06月17日【146】
6月1日~人間、結局はひとり
六月言えばジューンブライド、直訳すれば六月の花嫁。六月に結婚した花嫁は幸せになるというヨーロッパの言い伝えです。
数日前、その結婚披露宴に招かれ出席しました。
たくさんの方々に祝福されての披露宴でしたが、僧侶である新郎側の主賓は、元龍谷大学学長の信楽俊麿先生でした。
信楽先生は、新たな人生をスタートをする二人へのはなむけの言葉として、「結局は人間はひとりということです」とおっしゃいました。
世間一般では、結婚というお祝いの場において、「終わる、切れる、破れる、分かれる、戻る」という言葉を嫌いますが、そういう場において、「人間、結局はひとり」とい言われたのです。会場が一瞬シンと凍ったような雰囲気になりました。
続けて先生は、「いくら結婚しても見る夢は違うし、考えも異なる。その中でそれぞれが悩みや苦しみ悲しみを抱えていかなければならないのが人間の本当の姿。ひとりでそれらを背負っていかねばならないのが本当の人間の姿です。だからこそ、あなた方は今、目の前の人を選んだのです。ひとりで背負っていかねばならない悩みや苦しみを、目の前にいる人と共に分かち合い、共に乗り越えていくために、今日この日を迎えたのです」とおっしゃいました。
仏道は、「人間のいのちの現実を直視することから始まる」と言われますが、まさしく先生は、そのことを祝福の直中にあるお二人に話されたのです。
お経の中に、「人は、ひとりで生まれ、ひとりで死に、ひとりで去り、ひとりで来る」という言葉がありますが、二人の出会いを祝福する日だからこそ、二人の人生の新たなスタートを誓う日だからこそ、あらためて人間の厳しい現実を互いに見つめることを諭されたのです。
「人間、結局はひとり」。そのことを真剣に見つめるとき、目の前にある一つ一つの出会いが、あらためて輝いてくる世界があるのではないでしょうか。
(注:文中の信楽先生のお話は聞き取りで、一つ一つの言葉は正確でないことを申し添えます)
6月1日~人間、結局はひとり | 2011年06月01日【145】
5月16日~「後生の一大事」という言葉
急に暖かくなったり、急に寒くなったり、朝夕の気温の大きな差に戸惑う日々です。
さて、東日本大震災から約二ヵ月が経過しました。この震災でお亡くなりになった方、行方のわからない方々の数も次第に明確になり、五月中旬の時点で、死者が一四,八七七名、行方不明者が九,九六〇名となりました。追悼の思いと共に、誠に甚大な被害をもたらした大地震、大津波であったことを、あらためて感じます。
この犠牲者の皆さまに思いをはせるとき、私はあらためて、「後生の一大事」という言葉をいただくのです。後生とは後ろという字に生きると書いて、この世のいのちが尽きた後に受ける「いのちの世界」のことです。
この私がやがて受けるであろう「いのちの世界」を一番の大事として、人生を生きることを「後生の一大事」というのです。
西本願寺の大谷光眞ご門主様は、著書の中で、「後生の一大事は日常生活を超えたところにあるいのちの問題を、私たちに突きつけた言葉です」とおっしゃっています。
私たち一人ひとり、いついかなるときに、この娑婆の縁が尽きるかはかることができません。とても厳しいいのちの現実です。
その時、私はどこへ行くのか、地獄へ落ちるのか、それとも極楽浄土に往生するのか、このことを聞き訪ね、解決することが、私のいのちの一番大事な問題だということです。
私のいのちの問題、特に死について、目をそらすことなく考えることが、実は自分の生きる意味をしっかりと見つめることにつながる。これが「後生の一大事」ということです。
ご門主様は、「死について考えることで、その人の生はきっと深く充実したものになるはず」とご著書の中で、おっしゃっています。
5月16日~「後生の一大事」という言葉 | 2011年05月17日【144】