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9月16日~仏さまになれる生き方をしているか?

 久しぶりに本格的な大相撲が開催されましたが、まだまだ客席には空席が目立つようです。

 さて、秋の彼岸が近づいてきましたが、彼岸とは、阿弥陀如来のお浄土の岸を指し、春と秋の季候のよい時期に、先にお浄土に往生された方々を偲ぶとともに、仏法を聞きわが身の有り様をふり返り、お浄土への道を訪ねるのがその大切な意味です。

 一言で言えば、「私は、常日頃から仏さまに成れる生き方をしているだろうか」、という問いを、自分自身に持つことだと思っています。

 仏教の教えの根本は「あきらめる」ということです。これは、私たちが日常で使う、仕方がないと断念したり、悪い状態を受け入れたリするということではありません。

 「あきらめ」にはおおよそ六つの意味があると言われます。一つには心の曇りをなくすこと。二つにはこまかいところまでよく見ること、三つには判別すること、四つには事の筋を知らせること、五つには片をつけること、六つ目が断念することです。

 一つ目から五つめまでが仏教のあきらめで、「道理を明らかにする、ものごとをしっかりと見極める」という意味で、「仕方がないから断念しよう」ということではありません。

 この仏教のあきらめで、自分自身の普段の心の有り様や、言動、行動をふり返るといかがでしょう。忙しい日々を離れて、自分自身をゆっくりと、少しこまかいところまで、よく見極めることも大切なことでしょう。

 私は、常日頃から仏さまになれる生き方をしているでしょうか。自分自身の心の有り様や言動、行動は、仏さまの真実の願いにかなった生き方をしているでしょうか。

 お墓参りや彼岸法要への参拝を通して、共々に、その問いを持っていただけたらと思います。

9月16日~仏さまになれる生き方をしているか?2011年09月16日【152】

9月16日~美しいお心をわたしに…。

 朝夕吹く風が、少し涼しくなってきました。

 さて、あるご門徒のお宅にご法事でお参りに行ったときのことです。

 いつもの通り、お仏壇の前に座り、お勤めを始めようと思いました。すると、そのお宅のお仏壇の様子が、いつもと違うのです。

 よく見ると、お仏壇のお花が私たちお参りをする方でなく、仏さまの方に向けておいてあるのです。

 不思議な置き方をしてあるなと思い、「なぜ、お花が仏さまの方に向けてあるのですか。いつもと違いますよね」と、奥さまに聞きました。

 すると、数日前テレビを見ていたら、有名な占い師が、お花は仏さまにお供えするのだがら、人間の方に向けるのはそもそも間違い。仏さまの方に向けるのが正しいお飾りの仕方だと話したそうで、奥さまはそれを真に受けて、その占い師の言うとおりにお飾りをしたということでした。

 しかし、それは浄土真宗の正しいお飾りの仕方とは言えませんし、そもそもその占い師は阿弥陀如来という仏さまを全くご存じではないようです。

 確かに、献花とは相手に向かってお花を捧げることですが、浄土真宗では、お花は阿弥陀如来が私たちに休むことなく注いで下さるお慈悲の心をあらわしています。ですから、私がお供えしたお花はそのまま私に注がれる阿弥陀さまのお心といただいて、こちらの方を向けるのが正しいお飾りの仕方です。

 美しいお花は、そのまま仏さまが美しいお心を私に下さっていると受け止め味わうのです。だから、お花はこちら向きでなければなりません。

 また、お仏壇は、私たちのご先祖が往生されたお浄土の世界を形に表したものです。いつもきれいなお花が供えられ、美しく整った、阿弥陀如来のお心が感じられるようなお仏壇であるよう、心がけたいと思います。

9月16日~美しいお心をわたしに…。2011年09月01日【151】

8月16日~一番の供養は何ですか?

 僧侶にとって、とても暑く忙しいお盆が過ぎました。

 さて、今年もたくさんのご門徒が初盆をお迎えになりました。

 お参りに行ったあるご家庭で、お勤めの後、ご主人が、「生前、苦労をかけた父に対して、何が一番の供養になるでしょうか」とおたずねになりました。

 その話しぶりからして、初盆を迎えた今は亡きお父さんに、精一杯のことをしたいという息子さんの思いが伝わってきました。

 「お父さんは、お浄土にお生まれになって、尊い仏さまとしてのいのちをいただかれたのですから、特別に何かを心配される必要はありませんよ」と私は答えました。すると、息子さんは、「そういわれても父の喜ぶことを何かしなければ…」と、重ねて聞かれました。

 「であれば、仏さまとなられたお父様の願いに応えることが大切ではないでしょうか。私自身、大切にしていることは、手に合掌、口にお念仏、心に報恩感謝、耳にお聴聞の生活です」と、答えました。

 私たちの手は、ともすると人を押しのけたり、拳を握ったり、何かをつかみ取ろうとする手です。その手が合わさる生活を大切に。

 私たちの口は、ともすると愚痴を言ったり、悪口を言ったりしてしまう口です。その口から報恩感謝のお念仏がでる日暮らしを。

 私たちの心は、ついつい何事も自分中心に考えがちです。「おかげさまと生かされて、有り難うと生きていく」。日々そんな心持ちで生活したいものです。

 そして何よりも大切なことは、仏法を聞く生活です。お父様はただ今、仏さまとなって阿弥陀如来とともに、後に残る縁ある方々を真実の道に導くためにはたらいて下さっています。その願いをお寺で聞かせていただくことが聴聞です。

 私は息子さんにそのようなことをお話ししました。きっと、息子さんはお寺に足を運んで下さることと思います。

8月16日~一番の供養は何ですか?2011年08月17日【150】

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