こころの電話

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5月1日~地獄に堕ちる人・堕ちない人

 五月晴れの空に、鯉のぼりが元気よく泳いでいます。

 さて、今から約二五〇〇年前、お釈迦さまご存命のころのお話です。

 「世の中には悪いことをした報いで、死後地獄に堕ちる人もいる。しかし中には、同じように悪いことをした人でも地獄に堕ちない人もいる。それはなぜだろうか」

 ある日、お釈迦さまはお弟子方の前でこのような質問をされました。しかし、お弟子方は答えが分からず、皆うつむいてしまいました。その状況に気づいたお釈迦さまはヒントを出されました。

 「私の手のひらに塩がある。これを小さな茶碗に入れたらどうなるだろう」

 「もちろん塩水になります。きっと塩辛くて人は飲むことはできません」と、あるお弟子は答えました。

 「ならば、この手のひらの塩を大きな川に投げ込むとどうだろう。小さな茶碗と同じように人は飲めなくなるだろうか」

 「いえ、大きな川の水は、おおよそ変わることはないでしょう」と、あるお弟子は答えました。

 しばらくして、そのお釈迦さまのヒントを得たお弟子の一人が答えました。

 「きっと、悪事をしても地獄に堕ちなかった人は、日頃からよい行いをたくさんしていたので、手のひらの塩ほどの悪事をおかしてしまったのですが、さほど影響しなかったのではないでしょうか。逆に、地獄に堕ちた人は、普段からよいことをしていなかったので、少しの悪事でも、小さな茶碗のようにすぐに塩辛くなり地獄に堕ちたのだと思います」

 「そのとおりです。よくわかりましたね」。お釈迦さまはそのお弟子をお褒めになりました。

 お釈迦さまはこのお話を通して、私たちの日頃の生活の有り様を、積み重ねの大切さを諭されたのです。「人生は、一日一日の積み重ね」。今月も明るく前向きに、ご縁を大切にして生活しましょう。   (参考・仏教法話大辞典)

5月1日~地獄に堕ちる人・堕ちない人2010年04月30日【119】

4月15日~盗んだ一万円を…。

 大きなランドセルを背負った新一年生の子どもたちが眩しい季節です。 

 さて先日、テレビで一つの明るいニュースを目にしました。

 宇都宮市で、近くの神社のお賽銭箱から一万円を盗んだ小学生が、やがて社会人になり、謝罪の手紙と三万円を再びその賽銭箱に返したというニュースです。

 その手紙には、「約十年前に賽銭箱から一万円盗んで申し訳ありません」とあり、続いて、小学生の頃、「罪の意識もなくやってしまった」、「後悔と罪悪感でいっぱい」と綴ってあります。

 そして、「社会人になってからお金を稼ぐ大変さを実感したときに、お賽銭を盗んだことを思い出しました」とあり、さらに、「一万円を入れた方はどんな願いを込めて入れたのだろうと思うのです」、「盗んだ一万円を含む十年間の歳月が流れてしまったことを踏まえて、合計三万円を納めさせていただきます」と書かれていたそうです。

 その神社を管理している自治会の方々がその内容に感銘を受け、ニュースとなったそうですが、私はこのお話を耳にして、お釈迦さまのお言葉を思い出しました。

 それは、「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによって高貴な人となるのでもない。行為によって賤しい人ともなり、行為によって高貴な人ともなる」という言葉です。

 小学生の時、一万円を盗んだその男性の行為は許されるものではありませんし、たとえ三倍にして返しても行ったことは消せません。しかし、幼い頃欲にかられて、ついやってしまった自らの行為を忘れることなく、有耶無耶にすることなく悔い、反省して、謝罪文とともに返金した行為は、また、人のこころを潤すような尊いことです。きっとその男性がそのような思いや行為に至るまでには、様々な人的、社会的な、多くのご縁が働いていることでもありましょう。

 「人は、行為によって賤しい人ともなり、行為によって高貴な人ともなる」

 心にとどめて、日暮らしをしたいものです。

4月15日~盗んだ一万円を…。2010年04月16日【118】

4月15日~非戦平和の誓いを今…。

 春風に桜の葉が境内を舞っています。

 さて、先月の二十八日、本願寺沖縄別院の全戦没者追悼法要にお参りをするご縁をいただき、そのご法要の記念講演として、戦争体験者の仲程シゲさんのお話を聴講いたしました。

 仲程さんが沖縄戦を体験したのは六十二年前、十六歳で中学一年生の時。米軍が沖縄に上陸し攻めてくる中で、家族親戚十一人で必死で逃げたそうです。

 米軍に捕まると男性は虐殺され、女性は強姦されるとの噂が飛び交う中、隠れ潜んだ濠の中で、親せきの叔父さんが、日本人としてそのような辱めを受けるのならいっそ皆で自決しようと、手榴弾で自爆をしようとされたそうです。

 しかし、その寸前にシゲさんのお母さんが、「なぜ、戦争でこの五人の子どもたちを殺さにゃいかんのか」と必死に訴えました。それで叔父さんは集団自決を思いとどまったそうです。

 残念なことに、その叔父さんもまたおばさんも、逃げる途中で次から次に亡くなって行かれました。

 ある日、逃げ惑う日本の民間人と日本兵数名が集まったとき、若い青年がふんどし一枚の姿で、「これ以上もう逃げられない。この姿になって投降すれば米軍は何も危害を加えたりしない。皆、この姿になってもう投降しよう」と勧めたそうです。

 すると途端に、近くにいた日本兵がその青年の首を日本刀ではねたそうです。シゲさんの目には、今でもそのすさまじい光景が焼き付いているそうです。

 様々な体験をお話しされる中で、シゲさんは、「戦争は自然に起きたりなんかしません。起こす人がいるから起きるんです」とおっしゃいました。そして、「あの時、母が自決を止めなかったら、私たちは皆死んでいたでしょう。母のお陰で、私は今、このようにして皆さんに平和の尊さを訴えることができるのです」ともおっしゃいました。

 「非戦平和」の尊さをあらためて教えていただいた貴重な日となりました。

4月15日~非戦平和の誓いを今…。2010年03月31日【117】

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