こころの電話

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1月16日~子どもの姿、見えない…。

 京都のご本山では、親鸞聖人七五〇回大遠忌法要が、いよいよ一月十六日、本命日の最後のご法要をお迎えします。

 さて、お寺では新年に役員会を開催し、役員の皆さんにいくつかのお願いをしましたが、その中で、ご法事やお寺にお参りになるとき、子や孫たちを誘って一緒にお参りしてほしいとお願いしました。

 それはここ十数年、特にご門徒宅のご法事で、次第に子どもたちの姿が見えなくなりつつあるからです。

 少子化だけが原因ではないようです。クラブや塾が優先されている。またご法事の大切さを強く諭して下さるおじいさんやおばあさんが一緒に住んでおられない等、理由は様々ですが、子どもたちは数年に一度というご法事の場に座る機会が減って、仏縁が子どもたちからとても速いスピードで薄れていくことを心配するからです。

 昔からよく「子は親の鏡」とか、「子は親の背中を見て育つ」という言葉を耳にしますが、これは教育や子育ての場だけのものではないようです。

 ご門徒のMさんは、車で約一時間半ほど離れた町に嫁がれて数十年になりますが、三ヶ月に一度、必ず車で走ってお参りに来られます。

 東京にお住まいのKさんは、毎年、親の命日に、「今年も帰省できませんが、ふるさとのお寺でお勤めをお願いします。私は築地本願寺にお参りします」と、現金書留でお布施を送ってこられます。名古屋にお住まいのご門徒Tさんも同様です。

 思い返しますと、この方々のご両親やご家族は生前より、よくお寺のご法座にお参りに来られ、仏事を大切にされていた方々ばかりです。どうも幼い頃、若い頃から、自然に見てきた親の姿が、そのまま無意識のうちに子に受け継がれているようで、子は親の背中を見て育つ世界がここにあります。

 大事なことを子や孫たちに伝えるのは、親としての務めであり、責任であります。共々に心がけたいものです。

1月16日~子どもの姿、見えない…。2012年01月12日【160】

1月1日~明日ありと思う心に…。

 二〇一二年・平成二十四年の年明けです。今年も「覚照寺・心の電話」をよろしくお願い致します。

 例年でありますならば、「明けましておめでとう」と新年をお迎えするのですが、昨年の東日本大震災の被災者並びに被災地を思いますときに、到底そのような気持ちにはなることができない年明けであります。

 ただ、そう言っても一年のスタートです。新たなる気持ちと共に、遠くからでも復興のために少しでもできることに務めなければなりません。

 昨年の大震災では、私たちは多くのことを知らされ、忘れかけていた大切なことを思い起こされました。

 「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」

 親鸞聖人が御年九歳にて詠まれたと伝わるこの和歌もそうです。「この美しく咲き乱れる桜が明日もあると思うな。今夜、嵐が来て散ってしまうかもしれませんよ。あなたのいのちも同様に…」と無常観を詠われたものですが、私自身、日常の中でいつしか人ごとのように、また情緒的に紹介していたような気がします。

 しかし、大震災では、無常とは決して人ごとでなく、情緒的なものでもなく、私自身の厳しいいのちの現実であることを知らされました。

 いのちには五つの原則があります。

 私のいのちは、決して代わることはできません。

 私のいのちは、一つにて分け合うこともできません。

 私のいのちは、日々二度と繰り返すことはできません。

 私のいのちは、その終焉を避けることができません。

 私のいのちは、期間を予測することができません。

 この厳しい現実を真から受け止めるとき、今日一日の大切さが見えてきます。 今日一日なすべきことが見えてきます。

 今年も、一日一日を大切に、お念仏と共に暮らして参りましょう。

1月1日~明日ありと思う心に…。2011年12月31日【159】

12月16日~「絆」そして「縁」

 早いもので、今年もいよいよ年の瀬となりました。

 今年も様々なことがありました。三月十一日に発生した東日本大震災は、東北地方に未曾有の災害をもたらしました。またそれに伴う福島第一原発事故は、未だに多くの方々が先が見えぬ避難生活を強いられています。その他にも野田佳彦首相の就任や沖縄の普天間基地の問題などもありました。

 先般、その今年の世相を表す漢字が、京都の清水寺で示されましたが、やはり「絆」という文字でした。相次いだ災害であらためて確認された家族や仲間、地域とのつながりとその大切さがその理由でありましょう。

 私自身が一文字あげるなら、「縁」という字です。

 縁とは、この世の一切のものは、直接的あるいは間接的に、何らかのかたちで互いに関係し合い、つながり合って存在しているということです。

震災直後、被災地の東北地方では、もののない大変な被災状況の中にありながらも、暴動や大きな混乱もなく、皆我慢強く冷静に対応されたと聞きます。これは常日頃からその地域の方々が互いに支え合いながら生活をされてきた結果でありましょう。

 またその被災地には、日本全国から、そして世界各国から支援物資や激励の声が寄せられました。私たちは回りの多くの方々から支えられていることに気づかされました。

 逆に、原発の問題は、私たちがこれまで簡単、便利、スピードよかれの生活を一方的に推し進めてきた結果でもあり、深く反省すべきことであります。これは子や孫たちの時代まで負の遺産を残すことでありましょう。

 また、サッカー女子ワールドカップで優勝した「なでしこジャパン」の最後まであきらめない姿勢やチームワークの良さは、サッカーなどできない私にまで大きな勇気を与えてくれました。

 二〇一一年、この世の一切のものは、つながり支え合って存在していることを再確認させられた年でありました。

12月16日~「絆」そして「縁」2011年12月13日【158】

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