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3月16日~布施の心で「有り難う」
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、春彼岸を間近にようやく暖かさが感じられるようになりました。
さて、今年もお彼岸のご法要が勤まりますが、お彼岸とはお浄土、つまり悟りの世界を指し、正式には「到彼岸」といい、仏さまのみ教えを聞き開き実践して悟りの世界に到ることを言います。
私たちの浄土真宗では、この季候のよい時期にすすんでお寺に参り、お念仏のみ教えを聴聞し、仏さまの信心をいただくことを大切にします。
仏教を開かれたお釈迦さまは、私たちが悟りの世界に到達する実践を六つに分けて勧められますが、その中の一つに布施行があります。
布施とは、お金や品物を施すことを言います。またそれだけでなく、体を使ってお手伝いをしたり、周囲の人にあたたかな心で、笑顔で、優しい言葉で接することも相手に対する施しです。
しかし、この布施の場合、施された相手がお礼を言う、言わないにかかわらず、施した方がお礼を言います。
施した方がお礼を言うとはおかしな話ですが、なぜならば、布施は仏の悟りに近づくための行であり、自分の持ち物への執着や物欲から離れるための実践だからです。
相手に貰ってもらえるからこそ、その行を勤められるわけですから、もらって下さって有り難うと、お礼を言うわけです。
東日本大震災から一年が経った今も、私たちは身近なところで、義援金などの募金をさせていただく機会がありますが、これも仏教では布施の一つです。
そこに、「被災者の皆さんを助けた」「自分はよいことをしたんだ」と少しでも思うならば、誠に申し訳ないことであります。
ひとえに被災地の皆さんに心を寄せて、僅かですがどうぞ役立てて下さいと、お布施をさせていただく、そのような素直な姿勢が大切であろうと思います。
3月16日~布施の心で「有り難う」 | 2012年03月19日【164】
3月1日~一人ひとりの問題として…
ようやく春の気配を感じられるようになりました。
さて、今月十一日で、昨年発生した東日本大震災から一年を迎えます。
日本の観測史上最大規模のマグニチュード九,〇を記録した大地震は、その津波によって多くの被害をもたらしました。被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
さらに大津波は、東京電力福島第一原子力発電所に被害を与え、大規模な放射能漏れ事故を起こし、現在でも多くの住民が避難生活を余儀なくされています。
また、大量の放射性物質が大気、土壌、海洋の環境に影響を与え、農林水産物の汚染による健康被害が懸念されています。
さらに、各地の原子力発電所の稼働停止による電力不足が問題となり、電力の安定供給に向けて代用発電所の稼働対策が喫緊の課題です。
西本願寺の大谷光真御門主様は、親鸞聖人七五〇回大遠忌法要の御満座のご消息にて、「原子力発電所の事故は、自然の調和を破り、後の世代に大きな犠牲や負担を強いることになりました。これは肥大した人間の欲望のもたらしたところであります」とお述べになりました。
この度の原発事故は、東京電力や国策としてそれを推進してきた国の責任が問われるべきでしょうが、忘れてはならないのは、この問題を私自身の問題として受け止めることの大切さです。
この日本を揺るがす大きな問題が起きるまで、私たちは毎日、少しでも便利に、簡単に、そして何事も早く…という生活を送ってきました。
人間は、少しでも楽で快適な生活をすると、さらに楽にもっと快適にと、それには限りがありません。
その私たちの生活の有り様と原発事故とは決して無関係ではなく、今こそ私たち一人ひとりの問題として、真剣に受け止めることを諭されています。
毎日の日暮らしの中で、私自身に何ができるでしょうか。大震災から一年を経た今、あらためて自らに問いかけるべき大切な課題であります。
3月1日~一人ひとりの問題として… | 2012年03月03日【163】
2月16日~本当の幸せと豊かさは…。
インフルエンザが全国的に猛威をふるっています。
さて、先日NHKで、興味深い番組を放送していました。
それは、人気絶頂の日本人のダンスグループ、EXILEのUSA(ウサ)さんが、幸せの国として知られるブータンを訪れて、「チャム」とよばれる神聖な踊りを学ぶことでした。
「チャム」という踊りは、通常は僧侶の祈りの式で踊られるのですが、USAさんはブータン東部の小さな村のお寺で行われるお祭りで踊ることを許されます。
USAさんは、ホテルのない村で農家の家族にお世話になり、その村の人々に踊りを教わりますが、プロのダンサーであっても習得するのはとても困難です。
しかし、農家の家族や村人たちは、とてもあたたかな心で彼を励まします。
特訓を受け必死で踊りを覚えかけた彼に、村人の一人が言いました。
「踊りはとても上手になってきたが、あなたの踊りには人々の幸せと平和を願う祈りがない」
この言葉に彼は自問します。そしてその踊りの神聖な意味を知るほどに、自分に踊る資格はあるのか、夜は眠れぬほどに悩みますが、それでも村人たちは精いっぱい彼を励まし、ついにお祭りで彼は見事な踊りを披露し、村人から盛大な拍手を受けます。
私は、この村人たちの純粋であたたかな心と笑顔に感動しました。そして、常に周りの人々の幸せと平和を祈る姿勢を大変すばらしいと思いました。
幸せと平和を祈る…。私たちの浄土真宗では祈るという言葉は使いませんが、自分以外の多くの人々に寄りそうやさしく豊かな心と私は味わいます。
私たち日本人の身の回りは、物が溢れて一見豊かそうに見えますが、果たして内面はどうでしょうか。周りの人の幸せを願い、身近な人々の心に寄りそうゆとりとやさしさ、駆け引きのない純粋な心を持ち合わせているでしょうか。
仏教国であるブータンの人々は、幸せは、本当の豊かさは、決してお金や物では求めることができないことを教えてくれています
2月16日~本当の幸せと豊かさは…。 | 2012年02月22日【162】