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8月1日~我欲から施しの生活へ。
八月、お盆の季節です。初盆をお迎えになるご家庭もあることでしょう。
さて、お盆は、正式には盂蘭盆(ウラボン)といい、悩み苦しみ多き人間が、仏さまのみ教えによって救われることを意味します。
今から約二,五〇〇年前のこと、お釈迦様の弟子の目連尊者が、修行で体得した先の世を見通す力で、今は亡きお母さんの姿を探しました。するとお母さんは仏さまの世界ではなく、苦しみの世界・餓鬼の世界に墜ちていました。
餓鬼の世界とは飢えと乾きの世界で、生前の欲深い貪りの罪で墜ちる世界です。飢えに苦しむ母親の姿を見て、目連尊者は驚き、水や食べ物を持って行きますが、すべて口元で火となり、母親を助けることが出来ません。
目連尊者はお釈迦様のもとへ助けを求めに行きました。
するとお釈迦様は、「目連よ、そなたの母は我が子一番、我が子大事と、そなたを一生懸命育てるがあまりに、多くの心の罪を犯して餓鬼の世界に堕ちたのだ。我が子を育てるのに多くの心の罪を作らざるを得ないのが母親の逃れ得ぬ性である。目連よ、今そなたがあるのは、苦しみの世界に墜ちてまでも、我が子を育てようとした母のおかげではないか、その恩を忘れてはなぬ」。
そして、我欲にかられた人生を送るのではなく、周りの人へ施しをする尊き人生を送るよう諭されました。
つまりお盆には、「我欲の心を戒め、施しの心、生活を大切にしなさい」という仏さまの教えがこめられているのです。
目連尊者は、そのお釈迦様の教えをいただいて、やがて母親も仏さまの世界に救われていったと言われます。
「お盆には、ご先祖が帰ってくる」といわれますが、ご先祖は霊魂のようなものではありません。光り輝く仏さまとなって帰ってこられるのです。そして、後に残る私たちの人生が尊いものとなるように、すばらしい仏さまのみ教えを伝えるために帰ってきてくださるのです。
その仏さまとなられたご先祖に感謝し、仏さまのみ教えをお聞きするのがお盆の大切な意義なのです。
8月1日~我欲から施しの生活へ。 | 2012年08月02日【173】
7月16日~スーチーさんを支えたもの。
ウナギの値段が高騰し、今年はなかなか口にはいりません
さて先日、龍谷大学でミャンマーのアウンサンスーチーさんと、長い間親交を続ける大津定美さん、典子さん夫妻の講演会がありました。
大津夫妻は大学の先生で、一九七五年、イギリスに留学中のスーチーさんと出会い、家族ぐるみで交流を続け、スーチーさんが軍事政権下による自宅軟禁の際には、毎年のようにイギリスを訪ね、ご主人や息子たちを気遣ってこられました。
今年一月にヤンゴンで二十六年ぶりに再会したときは、浴衣や好物のウナギをおみやげに持って行き、笑顔で喜び合ったそうです。
スーチーさんの、若い頃から現在に至るまでの様々な姿を興味深く聞かせていただきましたが、質問のコーナーで、聴講者の若い青年が、「スーチーさんは度重なる長い自宅軟禁に耐えたました。イギリスで離れて住むご主人ともほとんど会えず、さらに死に目にも会えず、お葬儀にも出られませんでした。なぜスーチーさんは、そのような過酷な状況に耐えられたのか、彼女を支えているものは何ですか」と質問しました。
それに対し大津先生は、「それは、彼女は常々仏さまを敬い、五戒八正道を守り、自らを律する敬虔な仏教徒だからです。そう考えると、私たち日本人の仏教徒には甘えがあるかもしれませんね」と、おっしゃいました。
五戒とは、仏教の信者が守るべき決まり事で、生き物を殺さない、盗まない、不倫をしない、嘘をつかない、お酒を飲まないの五つです。
八正道とは、仏教の八つの修行法であり、スーチーさんは日頃からそれらを守り、自分自身を厳しく律する仏教徒であり、そこから培われる忍耐力や精神力によって、厳しい困難を乗り越えたと答えられました。
「日本人の仏教徒には甘えがあるかもしれませんね」という先生の言葉に、私は反省とともに身が引き締まる思いでした。
仏さまの教えを守り自分自身を律する生活を忘れていませんか。スーチーさん、大津ご夫妻に大切なことを教えられた思いでした。
7月16日~スーチーさんを支えたもの。 | 2012年07月16日【172】
7月1日~どちらから先に助けるか?
一年で一番昼が長く、夜が短くなる季節です。
さて、七月に入り水難事故が心配される季節ですが、これはたとえ話なのでお許し下さい。
ある大学で教授方を対象にした講演会があり、講師である禅宗のお坊さんが会場に向かって問題提起をされたそうです。
大きな池があります。その池であなたのお母さんと奥さんが溺れています。さて、あなたは、どちらを先に助けますか。
聴衆は皆、大学の先生ばかり、様々な答えが出ました。
「儒教の教えによると、子は親を敬うのが大事、だからまず母親を助けるべきだ」
「いや、キリスト教の教えからすれば愛が基本、だから愛する妻から助けるべきでしょう」
様々な意見が出て、答えは一つにまとまりません。
講師のお坊さんは、「早く答えを出さないと、二人とも溺れてしまいますよ」とジョークを言います。
それに対して教授の一人が、「では、和尚さんであれば、どちらを先に助けますか。答えて下さい」と質問しました。
「わしか、わしならば、そりゃ自分の近くにいるものから助ける」と、答えました。
私たちは、すぐに物事や人に対してレッテルを貼りがちです。溺れている人を、「母」だからとか、「妻」だからとか、理屈をつけて分け隔てをすることはよくないことです。
仏さまのまなざしは常に平等です。ですからもし人が溺れたときは、近くにいる人から手をさしのべれる。それだけです。
このお話は、自分にとっていいとか悪いとか、どちらが先とか後とか、損とか得とか、自分を中心にした、偏った人間の物の見方を諭したお話です。
7月1日~どちらから先に助けるか? | 2012年07月03日【171】