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7月16日~スーチーさんを支えたもの。
ウナギの値段が高騰し、今年はなかなか口にはいりません
さて先日、龍谷大学でミャンマーのアウンサンスーチーさんと、長い間親交を続ける大津定美さん、典子さん夫妻の講演会がありました。
大津夫妻は大学の先生で、一九七五年、イギリスに留学中のスーチーさんと出会い、家族ぐるみで交流を続け、スーチーさんが軍事政権下による自宅軟禁の際には、毎年のようにイギリスを訪ね、ご主人や息子たちを気遣ってこられました。
今年一月にヤンゴンで二十六年ぶりに再会したときは、浴衣や好物のウナギをおみやげに持って行き、笑顔で喜び合ったそうです。
スーチーさんの、若い頃から現在に至るまでの様々な姿を興味深く聞かせていただきましたが、質問のコーナーで、聴講者の若い青年が、「スーチーさんは度重なる長い自宅軟禁に耐えたました。イギリスで離れて住むご主人ともほとんど会えず、さらに死に目にも会えず、お葬儀にも出られませんでした。なぜスーチーさんは、そのような過酷な状況に耐えられたのか、彼女を支えているものは何ですか」と質問しました。
それに対し大津先生は、「それは、彼女は常々仏さまを敬い、五戒八正道を守り、自らを律する敬虔な仏教徒だからです。そう考えると、私たち日本人の仏教徒には甘えがあるかもしれませんね」と、おっしゃいました。
五戒とは、仏教の信者が守るべき決まり事で、生き物を殺さない、盗まない、不倫をしない、嘘をつかない、お酒を飲まないの五つです。
八正道とは、仏教の八つの修行法であり、スーチーさんは日頃からそれらを守り、自分自身を厳しく律する仏教徒であり、そこから培われる忍耐力や精神力によって、厳しい困難を乗り越えたと答えられました。
「日本人の仏教徒には甘えがあるかもしれませんね」という先生の言葉に、私は反省とともに身が引き締まる思いでした。
仏さまの教えを守り自分自身を律する生活を忘れていませんか。スーチーさん、大津ご夫妻に大切なことを教えられた思いでした。
7月16日~スーチーさんを支えたもの。 | 2012年07月16日【172】
7月1日~どちらから先に助けるか?
一年で一番昼が長く、夜が短くなる季節です。
さて、七月に入り水難事故が心配される季節ですが、これはたとえ話なのでお許し下さい。
ある大学で教授方を対象にした講演会があり、講師である禅宗のお坊さんが会場に向かって問題提起をされたそうです。
大きな池があります。その池であなたのお母さんと奥さんが溺れています。さて、あなたは、どちらを先に助けますか。
聴衆は皆、大学の先生ばかり、様々な答えが出ました。
「儒教の教えによると、子は親を敬うのが大事、だからまず母親を助けるべきだ」
「いや、キリスト教の教えからすれば愛が基本、だから愛する妻から助けるべきでしょう」
様々な意見が出て、答えは一つにまとまりません。
講師のお坊さんは、「早く答えを出さないと、二人とも溺れてしまいますよ」とジョークを言います。
それに対して教授の一人が、「では、和尚さんであれば、どちらを先に助けますか。答えて下さい」と質問しました。
「わしか、わしならば、そりゃ自分の近くにいるものから助ける」と、答えました。
私たちは、すぐに物事や人に対してレッテルを貼りがちです。溺れている人を、「母」だからとか、「妻」だからとか、理屈をつけて分け隔てをすることはよくないことです。
仏さまのまなざしは常に平等です。ですからもし人が溺れたときは、近くにいる人から手をさしのべれる。それだけです。
このお話は、自分にとっていいとか悪いとか、どちらが先とか後とか、損とか得とか、自分を中心にした、偏った人間の物の見方を諭したお話です。
7月1日~どちらから先に助けるか? | 2012年07月03日【171】
6月16日~受け止め方や表現一つで…。
紫陽花の花が雨に濡れて、いっそう美しく見えます。
さて先日、朝日新聞で、幸せの国で有名なブータンの記事を読みました。
ブータンは、「国民総幸福量・GNH」で話題を集めていますが、そのブータンが今、力を入れているのが教育だそうです。
山村にある小さな小学校での授業模様が紹介されていましたが、質素な民族衣装をまとった生徒たちは貧しくともとても礼儀正しく、授業の前には、必ず二分間の瞑想の時間があり、生徒たちは目を閉じ、静かに心を落ち着かせるそうです。今の日本人、寝るとき以外でこんな余裕はあるでしょうか。
そして、授業は単なる知識を植え付けではなく、倫理観や社会性、本物を見抜く力などを身につけることに、力を注いでいるそうです。
資源の大切さを教えることはもとより、例えば算数の引き算の問題で、「四個の卵のうち二個を泥棒に盗まれた。残りは何個?」という問題はだめで、「ある男性が四頭の牛を飼っていた。心優しいその男性は、生活に困っている娘に二頭を譲った。残りは何頭?」という形で問うのです。
国民総幸福量とは、国民全体の幸福度を示す尺度で、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、幸福を目指すべきだとする考え方ですが、それを教育の場でどのように生かすのか、とてもきめ細やかな工夫がされていると思いました。
自分の物を失うのにも、盗まれる場合と、周囲の人に自ら譲る場合があります。自分の持ち物が増えるのにも、勝ち取ったり、もしくは盗んだり、あるいは他人からの施しであったりします。
生活の中で様々な場面が想定されますが、受け止め方や表現一つで、殺伐とした暗い雰囲気となったり、心豊かな明るい環境となったりします。
教育は積み重ねこそが大切と聞きます。ブータンの教育には、仏さまの教えを根底においた、ゆとりと豊かさ、広がりと深さ、そして智慧を感じます。
家庭や職場など、あらゆる生活の場で見習いたいと思います。
6月16日~受け止め方や表現一つで…。 | 2012年06月16日【170】