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9月1日~大切なことはただ一点のみ
朝夕の虫の声に涼しさを感じる季節です。
さて先日、友人との会話の中で、友人が私に、「君はタバコをよくやめることができたね。食後のタバコはおいしいし、仕事でストレスがたまるので僕はつい吸ってしまう。君はどうして禁煙ができたの」と問いかけました。
彼は結構なスモーカーで、これまで禁煙に何回か挑戦するも達成できず、今から二十年ほど前に、一回の挑戦でやめた私に対しての質問です。その質問に、私は禁煙をするきっかけとなった落語家の露の新治さんの講演の話をしました。
露のさんは講演の中で、「皆さん、タバコをやめる方法を教えますから、よく聞いてくださいよ」と言った後、聞き入る聴衆に対して「それはね、吸わんことです」と言われました。
あまりにもあたりまえすぎる話に、会場全体あっけにとられて大爆笑だったのですが、よく考えてみればその通りで、禁煙とはタバコを吸わないこと、吸えば喫煙。ですからずっとタバコを口にくわえずにさえいれば禁煙はできます。
もちろん私も、それまで友人同様やめられぬ理由をあれこれ並べていたのですが、その話を聞いてから「吸えば喫煙、吸わなきゃ禁煙」と、私はただひたすらそれだけを心の中でずっと思い続け実践したお陰で禁煙ができました。
私たちは、ついストレスがたまるからとか、食後にはつい一本とか、仕事が忙しいからとか、あれこれ理屈をつけて自分ができない言い訳をしがちですが、大切なことはただ一点のみ、意外と単純明快なのかもしれません。
信仰という点でも同様のことが言えるかもしれません。私たちは生活の中で、何か思わぬ事、悩みや辛いことが起こるとつい、占いに走ったり、いろんな寺社仏閣を訪ねては祈祷に行ったり願ったり奔走しがちです。
親鸞さまは、「本願を信じ念仏申さば仏となる」と言われ、阿弥陀仏の本願のおいわれを聞いて、素直にうなずく身とならせていただき、念仏を申すならば必ず救われることを示されました。極めて単純明快です。
私たちは、その単純明快な教えをただただ素直にいただくだけであります。
9月1日~大切なことはただ一点のみ | 2020年09月01日【363】
8月16日~アタリマエでない日々の中で…
暑い夏、時折どこかから吹いてくる涼しい風を、だれかが「極楽のあまり風」と言いました。阿弥陀さまに吹かせて下さいとお願いしたい毎日です。
さて、今月十日から2020年高校野球交流試合が阪神甲子園球場で開催されました。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、春の選抜高校野球大会が中止され、出場が決まっていた全三十二校の球児たちに甲子園の土を踏ませてあげたいという思いから、高野連が招待し開催されたものです。
その開会式での高野連の八田会長の挨拶は印象深いものでした。
会長は参加球児たちに向かって、「皆さんは『有り難う』の反対語をご存じでしょうか」と問いかけた後、「有り難うの反対語は『アタリマエ』です。これまでの周りの手助けは奇跡とも言うべきもの。そのために、感謝の気持ちをアタリマエではなかったという言葉に込めるのです。感謝の気持ちを忘れず、甲子園球児という誇りを胸に、長い人生行路を歩んで下さい」と述べました。
「有り難う」の反対語は「アタリマエ」。
思い返せばほんの数ヵ月前までは、アタリマエのように東京オリンピックもあると思っていました。アタリマエのように春と夏の甲子園もやってくると思っていました。アタリマエのようにお盆でたくさんの帰省もあると思っていました。
そして今年の夏もいつものように、アタリマエに多くの家族が旅行に行き、楽しい思い出を作ることができると思っていました。
「有り難う」とは「有ることが難しい」と書きます。今日三度のご飯を食べることができて、学校に行ったりお仕事ができたり、一日を無事に過ごすことができるのも多くの条件がそろってのこと。その不思議に対する感謝の言葉が「有り難う」です。
残念なことに人間は、自分の身にアタリマエでなくなった事が起きたときに、初めてアタリマエの有り難さに気づかされます。
アタリマエではない日々の中で、アタリマエの有り難さを深く心に刻みたいと思います。
8月16日~アタリマエでない日々の中で… | 2020年08月17日【362】
8月1日~仏縁を深めていくお堂
昔、中国の燕(えん)という国の昭王は、どんな酷暑の中でも涼しさを覚える「招涼の珠」という不思議な珠を持っていたそうです。私も一個欲しいと思う毎日です。
さて、覺照寺では、お盆を前にして納骨堂の『第三偲恩堂』が落成しました。
親しき人との今生でのお別れの後、ご遺骨をいのちの縁とする風習は、仏教を開かれたお釈迦さまの時代から続いています。
お釈迦さまは、今より二六〇〇年ほど前にインドのクシナガラという町で、齢八〇歳でお亡くなりになりました。
ご遺体は花やお香で飾られ、ヒラニヤヴァティという川の砂地に運び、白檀の木材を井桁型に組み、その上にご遺体は安置されました。そして、村人たちが足下から火をつけようとしましたが、一向に火がつかなかったそうです。
それから数日が経ったとき、お釈迦様の弟子の最長老であった摩訶迦葉が、お釈迦様の死の知らせを聞いて駆けつけました。
弟子の摩訶迦葉は、作法通りにお釈迦様の周りを三回回って、頭と顔を遺体の足につけて礼拝する「頭面礼足・ずめんらいそく」という作法をすると、不思議に火が燃えて荼毘に付すことができたと伝えられます。
きっとこの伝説は、お葬儀というものは、僧侶や、故人の肉親や知友が関わらないと成り立たないことを表しているのでしょう。
お釈迦様のご遺骨は、クシナガラの人々やお釈迦様の出身地のシャカ族など、お釈迦様を慕い敬うインド中の八つの部族に分けられて、それぞれにストゥーパというお墓が建てられ、それぞれの地域で多くの方々が、仏さまのみ教えを聞く心のより所となりました。
覺照寺の『偲恩堂』は、いのちの縁とするご遺骨を安置し、今は亡き方の恩を偲ぶお堂です。そして、お釈迦さまのお墓と同様、そのことを通して、縁ある一人ひとりが仏さまのみ教えを聞き、仏縁を深めていくお堂です。
8月1日~仏縁を深めていくお堂 | 2020年08月02日【361】