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1月16日~今、コロナ禍の私たちにできること
今月十五日の小正月には小豆粥を食べる風習がありますが、小豆は親鸞さまの好物だったと伝えられます。
さて、今から二六〇〇年ほど前に、仏教の開祖であるお釈迦さまが、仏教徒の正しい生活の有り様を「八正道」として示されました。
一つには「正見」、偏見によらず、物事を正しく見て判断すること。
二つには「正語」、感情に流されない、正しい言葉遣いをすること。
三つには「正業」、他人に迷惑をかけず、生命を妨げない行いに努めること。
四つには「正命」、人の生命に役立つような生活(仕事)をすること。
五つには「正精進」自らの短所を直し、長所を伸ばす努力をすること。
六つには「正念」、日々、自らの言動や行動を正しく省みること。
七つには「正思惟」、怒りや欲を抑えて、慈しみや慎みの心を持つこと。
八つには「正定」、正しい精神統一、心を落ち着かせる時間を持つこと。
現代人の生活に合わせて説明すればこうなりましょうか。
お釈迦さまが示してくださったこの八つを、自分自身の日々の生活と照らし合わせてみてはいかがでしょうか。
そして新型コロナウイルスの拡大が迫る今こそ、この八正道の生活が、私たち一人ひとりに求められているのではないでしょうか。
残念なことですが、新型コロナ感染拡大が全国的に進み、その影響は医療関係者をはじめ飲食業や関連業者など、様々な分野に広がっています。
また十六日のラジオでは、この病による死亡者が世界で二百万人を超えたことが伝えられていました。そこには二〇〇万という数の辛く悲しいお別れがそれぞれにあったはずです。
一方で、緊急事態宣言が発令されて約一週間、思うように人々の自粛が進まず、医療崩壊の危機が叫ばれています。
時を超えて、お釈迦さまが今、私たち一人ひとりができることを教えてくださっています。
1月16日~今、コロナ禍の私たちにできること | 2021年01月17日【372】
1月1日~コロナ禍の正月に味わいたい言葉
明けましておめでとうございます。今年も「覚照寺・心の電話」をよろしくお願い申し上げます。
昨年は、新型コロナウイルス感染拡大とそれによる深刻な経済への影響、また大統領選挙によるアメリカの混乱に不安を感じながらの一年でした。
新型コロナウイルス感染拡大の波は徐々に身近に迫っており、心からおめでとうといえないお正月でありますが、このような年始だからこそ、以前ご紹介した言葉をあらためて味わいたいと思います。
「靴の底 すり減って 傷だらけになって 私の歩みを 支えてくれている」
これは、癌に冒されながらも、お念仏とともに精一杯生き抜かれお浄土にお参りになった出雲市・成福寺住職の本多昭人先生の『ふたたび出会う世界があるから』という本に紹介されている言葉です。
本多先生は、「この言葉を目にしたとき、病んだ私を気づかい、激励し、そっと背中を押してくれている周囲の人々の存在に目が向きました。そして、私はその人々の支えの中で生きていることを再確認したのです」と述べておられます。
新型コロナで増加する重傷者の治療に当たられている医療従事者の方々、施設で高齢者のお世話をされている介護士さん、町中で警備に当たられている警官や消防士、刑務官の皆さん、郵便配達員やコンビニ・スーパーの店員さん、公的交通機関の職員の方々など、お正月にあっても休むことなくおつとめしておられる方々が、今の今、全国にいらっしゃいます。
特に、医療従事者の皆様、そのご家族には、身命を賭して務められていることに心から敬意を表します。
靴の底というのは、足の下という意味でなく、私の見えないところ、私の気づかないところで、私の命を足下から支えてくださっているという意味です。
「靴の底 すり減って 傷だらけになって 私の歩みを 支えてくれている」
例年のお正月では、新年おめでとう、おめでとうの声が元気に飛び交うのが常ですが、新型コロナでお互いが自粛しなければならないお正月だからこそ、この言葉を一人一人が味わい、お陰さま・感謝の中で過ごすことが大切だと思います。
1月1日~コロナ禍の正月に味わいたい言葉 | 2021年01月11日【371】
12月16日~人間の心の奥底を見抜いて…
先日、屋外の手洗い場に初氷が張っていました。いよいよ冬本番です。
さて、お寺では先般、報恩講法要をお勤めしました。
報恩講法要は、浄土真宗の教えを開かれた親鸞聖人のご法事ですが、親鸞聖人は阿弥陀仏のお救いを私たちにお勧めくださった方です。
阿弥陀仏のお救いの一番の特徴は無条件の救いということです。たくさん修行をしたとかしていないとか、たくさん勉強したとかしていないとか、たくさん善いことをしたとかしていないとか、阿弥陀さまのお救いには、そのようなモノサシはないということです。
また、阿弥陀さまは対価も求められません。お寺やお坊さんにたくさんのお布施をしなさいともいわれません。救ってやるからお礼を言いなさいとか、代償をを求めることもされません。
お歳暮の季節ですが、人間はどうでしょうか。こちらが五千円の贈り物をしたならば、相手からそれ相応の贈り物が来ないとなんとなく心地よくないものです。
もし大金の入った財布を拾って警察に届けて、無事本人に財布が届けられたなら、わずかばかりでもお礼を求める気持ちが湧くかもしれません。
人間の心の中は、つねに自分中心に、しかも限られた範囲でしか動きません。
阿弥陀さまのお心は大慈悲です。そのように我執に縛られた人間の心の奥底を見抜いて、大きな慈しみの心で、私たちを無条件に、分け隔てなく救わんとする大いなる願いを持ったお方が阿弥陀仏という仏さまです。
報恩講は、その教えを私たちに勧めてくださった親鸞さまに感謝すると共に、私に振り向けられた阿弥陀仏の大慈悲のお心をいただくご法要です。
今年も覺照寺こころの電話をお聞きくださり有り難うございました。
覺照寺では、令和三年一月一日元旦の朝八時より、新年最初のお勤め・修正会をお勤めいたします。どうぞお参りください。
12月16日~人間の心の奥底を見抜いて… | 2020年12月17日【370】