こころの電話

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9月16日~年を重ねたからこそ…

 秋のお彼岸です。朝夕、少しずつ涼しくなってきました。

 さて、今月二十日は敬老の日です。今年の百歳以上の高齢者は、全国で過去最多の四四,四四九人。四十年連続の増加となり、長寿国の日本です。

 年を取ることは、社会の第一線から退いたり、気力体力が落ちたりと、あまりいい意味で語られないことも多いのですが、そうばかりではないようです。

 先日、ラジオでバイオリニストの千住真理子さんが、二人の有名なピアニストについてお話をされました。

 二人のピアニストそれぞれに、若い頃演奏したものと、年をとってから演奏したものとの両方が放送で流されましたが、とても不思議です。同じ人が同じ曲を、同じ譜面を見て演奏しているのに、曲の雰囲気が全く違います。

 千住さんは、前者のピアニストについては、「全く同じ音符を演奏しているのに確かに何かが増えている。空気までも読んで演奏している」と表現し、後者のピアニストについては,「一音一音、音を確かめながら、味わいながら演奏している」と表現していました。

 そして、三十年以上もバイオリンを演奏している千住さんご本人も、若い時には出来なかった演奏が、今になってできる。年と経験を重ねなければできない演奏があるとおっしゃっていました。

 私たちの生活も同様のことが言えそうです。若いときはよく理解できなかった言葉が、今になってしみじみと味わえる。若いときはとてもおいしいと思えなかった食材が、ゆっくりとした食生活の中でおいしく味わえる。例えば自然の移ろいなど、若いときは何にも感じなかった事柄が、年を重ねた今、身をもって感じることができる。

 年を取らなければ感じ得ないこと、年を重ねたからこそ味わえること、できることが、身の回りにはたくさんあります。仏さまのみ教えも、年を重ねたからこそしみじみと味わえるかもしれません。お彼岸にぜひお寺にお参りください。

9月16日~年を重ねたからこそ…2010年09月16日【128】

9月1日~なんまん、なんまん、ありがとう

 酷暑の八月が終わり、新涼の九月に入りました。

 さて、お寺では八月に、仏教壮年会や婦人会の方々にお手伝いを頂き、小学生のキャンプを二回行いました。それはひとえに、幼い頃、お寺で楽しく有意義な思い出を作ってほしいことに他なりません。

 京セラという大きな会社を設立し、現在名誉会長である稲森和夫さんも、著書「生き方」の中で、幼い頃の思い出を語っておられます。

 稲森さんは鹿児島県出身で、浄土真宗にご縁のある家庭で育たれました。稲森さんの幼い頃はあの隠れ念仏の習わしが残っており、日没後の暗い山道を、提灯の明かりを頼りに、お父様の後を必死でついて行った思い出があるそうです。

 登った先には一軒の家があり、押し入れの中に立派な仏壇が置かれていて、その前でお坊さんがお経を唱えており、その後ろに正座をさせられたそうです。

 読経が終わると、一人ずつ仏さまにお線香を上げて拝むように教えられ、その時、お坊さんは稲森さんに、「これから毎日、『なんまん、なんまん、ありがとう』と言って、仏さんに感謝しなさい。生きている間、それだけすればよろしい」と言われたそうです。

 稲森さんは、「それは私にとって、最初の宗教体験とも言える印象深い経験でしたが、その時に教えられた感謝することの大切さは、私の心の原型を作ったように思います。そして実際、いまでもことあるごとに、『なんまん、なんまん、ありがとう』という感謝のフレーズが無意識のうちに口をついて出たり、耳の奥によみがえってくるのです」とおっしゃっています。

 稲森さんの言葉は、幼い頃の体験がいかに人の心を育むのか、その大切さを教えてくださいます。昔から「仏法は若きときにたしなめ」とも、「仏法は毛穴から染みいる」とも言われます。幼い子どもたちに、お寺とのご縁を、仏さまとのご縁をたくさん結ぶ。仏さまからお預かりした私たち大人の大切な務めであります。

9月1日~なんまん、なんまん、ありがとう2010年09月01日【127】

8月16日~褒めて認めてもらってこそ

 今年の初盆法要は、例年になく、たくさんの方々がお参りくださいました。

 法要では、それぞれのご先祖方を偲びつつ、すべての方々をお浄土へとお救いくださる阿弥陀如来に感謝し、『仏説阿弥陀経』というお経を拝読しました。

 そのお経の中に、東西南北と上下にいらっしゃるたくさんの仏さまが、浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来の、すべてのものを救わんとするその功徳が真実であることを表し、念仏申すものを、すべての仏さまがお護りくださるという段があります。

 たくさんの仏様の名前が出てきて、繰り返しそのことを念を押すように示されているのですが、私はそこを拝読するたびにとても有り難く思うのです。

 以前、お寺の本堂などを、日本の伝統的な技法をもって建てる宮大工の方からお聞きしたのですが、「私たちの仕事は、建築の依頼を受けた施主から満足してもらわねばならないのは当然ですが、同じ大工の仕事をする同業者から褒めてもらい認めてもらってこそ一人前です」と、聞いたことがあります。

つまり、同じ仕事、同じ勤めをするものから認めてもらうことが、この上ない保証になるというのです。

 尊い仏さまのお救いについて、世俗的な話を出して申し訳ないのですが、しかし、私は同様のものを感じるのです。

 一時も休むことなく、たくさんの仏さまがこの私を救わんとはたらいてくださっている。そのたくさんの仏さまが口をそろえて、阿弥陀如来のお救いのはたらきこそが真実であると、褒め称え認めておられます。

そして、そのお心を頂き念仏申すものを、その多くの仏さまが必ず護ると誓ってくださっているのです。これ以上の保証がどこにありましょうか。

 私たちはそのお心を素直にいただいて、ただ念仏申すのみであります。

8月16日~褒めて認めてもらってこそ2010年08月16日【126】

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