こころの電話

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9月1日~どれほど涙を流しても…。

 台風十号は、岩手県と北海道を中心に甚大な被害をもたらしました。被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

 さて、ブラジル・リオで開催されたオリンピックは、先月二十一日で幕を閉じました。

 世界各国から集まった選手たちの活躍は大変素晴らしいものでしたが、逆に、練習の成果を十分発揮できずに、メダルに手が届かなかった選手の涙も大変印象的でした。

 今月七日からは、いよいよパラリンピックが開催されますが、いつもこの大会で感動を与えてくれるのは、競技を終えた後の選手たちの表情です。

 元来オリンピックは世界レベルでの勝負を決めるものですから、勝者は満面の笑みと喜びの涙を流し、敗者は拳を握りしめ悔し涙を流すものです。

 ところがパラリンピックでは、同じ世界レベルでの戦いではありながら、勝敗よりも、競技を最後まで精いっぱいやり遂げた選手たちの表情が、見る者に感動を与えます。

 このパラリンピックを提唱したのは、イギリスのルードヴィヒ・グッドマン博士という人で、彼は障害を持った人に対し、「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に活かせ」と問いかけました。

 どれほど涙を流しても悔やんでみても失ったものは帰ってはこない。それよりも残されたものに最大限の価値を見出そうではないか、ということでありましょう。

 もしも、私自身が障害を持つ身になったとき、失われたものへの執着心を離れ、真の希望と未来を持つことができるか自信はありません。

 しかし、これまで多くの障害者の方々がこの言葉に出会い、私には想像もつかないほどの苦しみや悲しみを乗り越えて、自らの真に生きる場を創り出されたことは紛れもない事実であります。

 この度も、その素晴らしい姿に学ばせていただきたいと思います

9月1日~どれほど涙を流しても…。2016年08月31日【268】

8月16日~自分のこととして…

 スポーツの祭典、リオのオリンピックはいよいよ終盤です。

 さて、暑いこの季節、お寺で紹介されるお話に芥川龍之介の『蜘蛛の糸』がありますが、私があるお寺の親子の集いでこれをお話ししたときのことです。

 大泥棒のカンダタは生前の罪で地獄に堕ちて、煮えたぎる釜の中で喘いでいます。

 その様子をご覧になったお釈迦さまは、カンダタが生前、一匹の蜘蛛を踏みつぶさなかったことを思い出されて、一度だけ地獄から助かるチャンスを与えようと一本の蜘蛛の糸をたらされました。

 それをつかんだカンダタは助かろうとよじ登ります。しばらくして下を見るとなんと、地獄の亡者が次から次にと蜘蛛の糸を上ってくるではありませんか。

 細い糸が切れてしまうと思ったカンダタは、「これは俺のものだ。お前たちは上ってくるな」と下に向かって叫んだとたんに糸は切れて、カンダタもろとも皆再び地獄の釜に落ちていったというお話です。

 このお話をした後、数名の親子の話し声が聞こえてきました。

 あるお母さんは、「正人君、お坊さんが言ったのはあなたのことよ。あなたすぐ虫を殺しちうじゃない」と子どもに向かって言われました。別のお母さんは、「由美ちゃん、あのカンダタはあなたみたいね。あなたはおもちゃを独り占めして、妹たちや弟たちに貸してあげないでしょ。あんなことしてたら、お坊さんが言ったみたいに地獄に落ちちゃうわよ」と言われました。

 その話し声を聞きながら私は、「お母さん、お宅のお子さんのことかもしれませんが、お母さんあなた自身の姿はどうですか」と心の中で問いました。

 お母さん、家庭の中で、つい害虫と決めつけて小さな虫たちをむやみに殺していないですか。日常生活の中で、つい自分さえよければいいという心にとらわれることはないですか。

 『蜘蛛の糸』のお話もお寺のご法話も、自分のこととして聞かせていただかなければ意味はありません。難しいことです。

8月16日~自分のこととして…2016年08月18日【267】

8月1日~清浄なる光によって…

 八月に入り暑さがいっそう増してきました。

 さて、先日ご門徒のお宅にお参りに行ったときに、そこのご主人から質問を受けました。

 「私たちが仏さまに向かってお参りをするのに、お仏壇のお飾りはなぜ、私たち人間の方にすべて向けてあるのですか」

 なるほどその通りです。お花も蝋燭も、また黄金色に輝く美しい部分も、お仏壇のお飾りはすべて私たち人間の方に向けてあります。

 『仏説阿弥陀経』というお経には、ご先祖方が往生された極楽浄土の世界の美しさが説かれていますが、その阿弥陀如来が作りあげてくださったお浄土に生まれた人は、仏さまの清浄の光によって清められると説いてあります。

 清浄とは寸分のけがれもないことで、罪悪や迷い、煩悩がなくなったことを言います。しかもそれは一時的なものでなく永遠にまことの清らかさを得るのです。

 さらに、お浄土において仏さまの光をいただき、まことの清らかさを得た者は、縁あるものや周囲のものを清らかにするはたらきを持つのです。

 お花や蝋燭、また黄金色に輝くお仏壇の美しいお飾りを私たち人間の方に向けてあるのは、まさしくその仏となられた方々が私たちの心を清らかにし、清浄なるお浄土の世界に導こうとするはたらきを形に表した姿に他なりません。

 私たち人間がご先祖方を心配する前に、お浄土の方から煩悩の渦中にある私たちを心配し願っている姿を形に表されているのです。

 その前に座りお念仏をお称えする私たちには、ご恩報謝の心しかありません。

 今年もお盆がやってきます。一般に、お盆にはご先祖が帰ってこられると言われますが、お念仏をいただく私たちにはお盆だけでなく、常に休むことなくご先祖がまこと真実の仏さまとなってはたらいていてくださいます。

 これ以上の功徳と幸せはありません。

8月1日~清浄なる光によって…2016年08月02日【266】

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