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1月16日~思いをめぐらせましょう。
新たな年が明けて半月が経ちました。
さて、今月八日は成人式でしたが、横浜市の振り袖販売・レンタル業者が突然休業し、晴れ着を着ることができず、成人式に出席できない新成人がたくさんいたという、耳を疑うようなニュースが飛び込んできました。
また予約していた晴れ着がネット上で転売されたり、被害は来年の新成人にまで及ぶのではないかと心配されています。
きっと、大切なわが子の晴れの日にと、ご両親が用意されていた家庭もあったことでしょう。おじいさんおばあさんが孫のためにと用意されていた家庭もあったことでしょう。中には、自分でコツコツと貯金をしていた方もおられたと思います。
晴れ着は単なる商品や品物でなく、新成人を祝うそれぞれの真心が、あの色艶やかな形になったもので、そう思うとき、この度の大人の無責任な行為に憤りを感ぜずにはおれません。
また今月十五日は、軽井沢町でスキーバスが転落し、乗客乗員十五人が亡くなり、二十六人が重軽傷を負った、あの大事故より丸二年でした。
犠牲者はすべて大学生で、経営者は運転手に義務づけられた健康診断も、適性検査も実施していなかったと聞きます。将来を担う若者のいのちが失われたことは本当に残念でなりません。
激しい価格競争や儲けを優先するがあまり、その被害が多くの若者に及んでいることを、私たち大人は今一度、真剣に顧みる必要があります。
思いをめぐらせましょう。もっと豊かな創造力を持ちましょう。
自分のお仕事やお付き合いの一つ一つの裾野には、自分の大切な子や孫、家族と同様に、多くの人々のつながりや願いがあることに思いを馳せるとき、自らのただ今の行為が、やがてどのような影響をもたらすのか、すべてとは言わずともある程度予想はつきます。
これからの将来を担う若い方々を、悲しませたり苦しませたりするような社会であってはなりません。
1月16日~思いをめぐらせましょう。 | 2018年01月16日【301】
2018年1月1日~オレ様ファースト主義は…
明けましておめでとうございます。今年も覺照寺『心の電話』をよろしくお願いいたします。
さて、昨年をふり返ると、北朝鮮の核とミサイル、森友・加計学園問題、天皇陛下の退位決定、小池・希望の党の驕りと先走り選挙など、様々なことがありましたが、中でもトランプ大統領のアメリカファースト主義には世界中が混乱しました。
どの国にも、自らの国益に忠実に物事を進めていくのは当然でしょうが、その根底には民主的、協調的な考えを持って対応するのが基本ですし、これまでその中心的存在がアメリカだっただけに、国際的な混乱に歯止めがききません。
そんなトランプさんに聞いてほしいお浄土にいる鳥のお話があります。
阿弥陀さまのお浄土の世界には、色とりどりのたくさんの鳥たちがいて、常に阿弥陀さまの功徳を優雅な鳴き声で讃えているそうです。
その中に「共命之鳥」という、胴体は一つなのですが、頭が二つあって、鳴き声がとても美しい鳥がいるそうです。ぐみょうとは共に命を持つ鳥と書きます。 この鳥がお浄土に生まれる前の話です。この鳥は毎日、とても仲がよかったのですが、ある日森の中で、いったいどちらの方が鳴き声が美しいかが話題になりました。
二つの頭を持った鳥は互いに、「オレの方が一番だ」、「いやオレの方が美しい声を持っている」と言い争いを始め、同じ体を持ちながらも、その争いはお互いを憎しみ合うまで増幅していきました。
そして遂に片方が、「あいつがいなくなれば、オレは一番になれる」と餌に毒を混ぜて食べさせました。
食べた片方は苦しみながら死んでいきますが、間もなく毒を盛った片方も苦しみの中で命を果てます。当然です。胴体は一つなのですから…。
このお話は、目には見えない縁によって生かし生かされている私たちが、「自らの強い思いによって他を滅ぼすことは、自らをも滅ぼすことになる」ことを教えています。
新年に当たり、トランプさんも、正恩さんも、そして私も、共々に心にとどめたいお話です。
2018年1月1日~オレ様ファースト主義は… | 2017年12月31日【300】
12月16日~ともに仰ぐ指標を持ちながら
今年も後残すところ半月となりました。
さて毎年、京都の清水寺で行われる「今年の漢字」、二〇一七年は「北」という文字でした。
その理由で多かったのは、弾道ミサイル発射や核実験強行など世界に脅威を与えた北朝鮮の行為、九州北部豪雨による被害、天候不順で北海道産ジャガイモが不足し、ポテトチップスの一部が販売中止に、プロ野球・北海道日本ハムの大谷翔平選手が米大リーグに移籍したことなどでした。
清水寺の森貫主は「『北』という漢字は二人が背を向けている姿を表している」と感想を述べておられましたが、まさしくそれは金正恩氏とアメリカのトランプ氏でありましょう。
おおよそ人と人の間で、互いの向き方に三つあります。「互いに背を向ける」、「互いに向き合う」、「互いに同じ方向を向く」の三つです。
最初の「互いに背を向ける」は、それぞれ反目し合うか無関心、てんでばらばら勝手な方に向いており、話し合う余地も心の通じようもありません。まさしく「北」の字の状態です。
二つ目の「互いに向き合う」は、向き合ってこそ話もはずみますが、時に対立や諍いになることもあり、すべてがわかり合えるとは限りません。しかし、ある程度理解し合え心の扉は開きます。
三つ目の「互いに同じ方を向く」は、それぞれの考え方や意見は違っても、互いに認め合い許し合いながら、ともに仰ぐ指標を持つ、よりよい基本的な姿勢です。
いつまでも背を向けていては相手はおろか自国の中にまで歪みが出てきます。また一度争いになれば、犠牲になるのは一番弱い子どもや女性たちです。お互いに地球全体の平和という指標を仰ぎながらの言動と行動を願いたいものです。
今年も覺照寺テレホン法話をお聞き下さり、有り難うございました。
次回は、二〇一八年一月一日にお話が変わります。皆さまよいお年をお迎え下さい。
12月16日~ともに仰ぐ指標を持ちながら | 2017年12月17日【299】