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6月1日~肩の力ぬけて楽になる
新緑が輝き、爽やかな風が吹き抜けて、心地よい日々が続いています。
さて先般、お寺のこども園に勤務する若い先生が、「私は、こども園に勤めるようになって、お寺や仏教に対するイメージが変わりました」と、話しかけてきました。
お寺の園には、五十名ほどの職員が勤務していますが、その先生方は毎月一回、勉強会を行っており、住職や布教で来られた先生方のお話を聞く機会がよくあります。
そして、お話を重ねて聞いていく中で、今まで自分が思っていたお寺や仏教に対する印象が変わったというのです。
今までは、お葬式やご法事など、人が亡くなったときだけに関わるところという印象だったそうです。これは、私たちお寺を預かる僧侶が大いに反省しなければなりません。
こども園に勤めるようになり、お寺にご縁ができて、仏さまの教えを聞い後の印象は、仏教は自分が生きるために必要な教えであり、教えを聞いていくと肩の力が抜けて、生きていくのが楽になったとのことでした。
とても大切なことに気づいてくださったと思いますし、仏さまの教えを聞くということは素晴らしいことだと、あらためて感心させられました。
仏教は、真の自己に目覚めることをすすめる教えです。真の自己とは、本当の私の心と体の有り様のことで、それは常に自己中心的な心にとらわれて、確かな指標も持たないことにより、迷っていることに気づくこともなく、ひたすらさまよう姿です。
常に自分が正しいと思い込んでいるので、そんな自らを常に取り繕うために口も、心も、行動も、多くの鎧を身にまとい、いつも無理をしなければなりません。
その先生は、肩の力が抜けて生きていくのが楽になったと言われました。きっと、自分自身の真の姿に気づかされ、それを取り繕うための鎧をすべて捨てて、正直にまっすぐ生きることができるようになったからでありましょう。
お聴聞を重ねるとは有り難く、素晴らしいことです。
6月1日~肩の力ぬけて楽になる | 2017年06月02日【286】
5月16日~手を合わさずにはおれない
日中は次第に暑くなってきましたが、朝夕は時折大変冷え込むことがあります。
さて、テレビでは毎日多くのドラマが放送されており、その中で、食事の場面も多く出てきます。
そこでは、家族がそろって合掌して「いただきます」と言って食べ始めるシーンもあれば、手を合わさずに食べ始めるシーンもあります。
テレビドラマは、台本にしたがってプロデューサーを中心に役者が作っていきますから、そこにはプロデューサーの何らかの意志がはたらいでいるのでありましょう。
一方で先般、養豚のお仕事をされるお宅をレポーターが取材する番組があり、その中で、養豚業のご主人が、「ここで養っている豚は生まれて六ヵ月ほどすれば、皆出荷されていくのですよ」と言われましたが、その言葉を聞いて驚きました。生まれてわずか六ヵ月で、私たちの食事のために出荷されるというのです。
鶏は生まれて約四ヵ月。牛はと言うと、生まれてから約八ヵ月は家畜農家で育てられ、二八〇㎏くらいになるとセリにかけられ飼育農家に引き取られ、約一年半ほどして適度な体重になれば出荷されるそうです。牛も二年足らずでお肉となるのです。
言い換えれば、私たち人間に食べられるためだけに生まれてきて、飼育されて、わずかな日数を過ごし、私たちの命を支えるためにお肉となるわけです。
あらためてそのことを思うとき、手を合わす、合わさないではなく、手を合わさずにはおれないのではないでしょうか。
飽食の時代と言われて久しくなりますが、世のなかにはたくさんの食べ物があふれて、そこにある一つ一つの命が見えにくい時代となりました。しかし、私たちのいのちを支えるために生まれてくる多くの命があることを、忘れてはなりません。
そして、手を合わさずにはおれません。
5月16日~手を合わさずにはおれない | 2017年05月17日【285】
5月1日~心根を見つめる厳しく目
こいのぼりが、五月晴れの青空を元気よく泳いでいます。
さて先般、復興大臣が失言によって辞任をしたニュースが流れました。
原発事故の自主避難者が故郷に帰れないことを「本人の責任」と発言し謝罪をしたばかりでしたのに、今度は大震災が、「まだ東北の方だったからよかった」と発言し、ついに辞任に追い込まれてしまいました。
復興庁は、東日本大震災からの復興を目的とした行政機関ですから、今も苦しみや悩みをかかえながら生活されている多くの被災者を傷つけるようなこの度の発言は、その専任の統括責任者として到底許されるものではありません。
昨今繰り返される政治家の失言について、長期政権によるたるみがあるとか言われます。また会派の重鎮が、立場をわきまえてとか、多人数の前で話すときは気をつけてと、政治家が発言するときの注意事項を紹介し戒めていましたが、いずれも「心の中では思っていても、本音は人前で決して言うな」「口は災いの元だから気をつけろ」という程度のもので、物事の本質を問うたものはほとんどありません。
この度の発言で問われることは、東北の復興を目的とすべき大臣に、本当に被災地・被災者に心から寄り添う気持ちがあったのかということでありましょう。
また、ひとりの人間として、すぐに物事を比較して損か得かを考えてしまう人間の本質、自らの心根を、厳しく見つめる目を持っていたかどうかということでありましょう。
仏教では、心の行いを大切にします。日々の心の行いが、口の行い、体での行いとして現れるからです。
そして仏教では、その心に灯を持つことを勧めます。灯とは、私自身の本当の心と姿を顕かにし、正しく人生を歩むための道しるべ、つまり真実の教えのことです。
あなたの心には灯がありますか。まことの道しるべをお持ちでしょうか。共々に自らの心に問いかけてみましょう。
5月1日~心根を見つめる厳しく目 | 2017年04月30日【284】