こころの電話

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4月15日

 4月中旬、すっかり葉桜になった鹿児島から、仕事で京都に行きましたら桜満開。日本は縦長の国です。

 さて、学校も、会社も新年度を迎え、皆新たな気持ちで学業に、お仕事に励んでおられます。学校では、先生が生徒たちに授業を行い、会社では上司が部下に新たな仕事を教えておられることでしょう。

 そこで、一つの興味深い法則があります。それは「パレードの法則」というもので、数々の名著を出されている僧侶・藤沢量正先生の著書に紹介されています。

 例えば、会社の全セールスの80パーセントを、成績優秀な上位20パーセントのセールスマンが引き受けるようにすれば、販売の成功率は極めて高いという法則で、20分の80の法則とも言われています。

 この法則はいろんなことに応用できます。学校の先生が、自分の伝えたいと思う話の80パーセントを理解するものは、生徒の中の20パーセントに過ぎないということになります。これは、学校の先生に限りません。私たち僧侶の法話も同様で、裏を返せば、聴衆の80パーセントは、私がお伝えしたい話の20パーセント程度しか理解してもらえないことになるわけで、人に物事を伝える側の人は、その難しさを充分に考慮した上で話すことが大切になります。

 また、本を1,000冊持っている人は、本当に利用度の高い本はその中の200冊程度だと思い、洋服を100着持っている人は、その内の20着程度だと思って、いつもそれらを身近におくと便利だということになります。

 藤沢先生も、この法則を『朝日新聞』の「天声人語」で知ったことを述べられ、そこには、働き過ぎといわれる日本人は、年間20パーセント程度の休日をどのように上手に過ごすかが、残りの80パーセントの仕事を決定することが述べられているそうです。

 学校でも、お仕事場でも、家庭でも、この「パレードの法則」、20分の80の法則を応用してみてはいかがでしょうか。今までと少し変わったものの見方ができるかもしれません。

4月15日2006年04月16日【22】

2006年4月1日

 四月八日は花まつり。今から二五〇〇年前、お釈迦さまが、現在のネパールのルンビニーでお生まれになった日で、花まつりはその誕生をお祝いする行事です。

 さて、三月末のある朝、お寺に二本の電話がかかってきました。一本は、鹿児島を代表する船舶運輸会社社長のOさん、もう一本は、これまた鹿児島を代表する漢方医薬店社長のSさんでした。お二方とも、私が西本願寺鹿児島別院に在職の時、所属していたロータリークラブで大変お世話になった方です。

 おおよそ八年ぶり、しかも突然の電話で何事かと思いましたが、内容は、「西本願寺の機関誌で、あなたの法話を読ませてもらいましたよ。久しぶりにあなたの顔を写真で見たので、懐かしくて電話をしましたよ」というものでした。

 鹿児島別院の機関誌の三月号に、掲載された私の法話をご覧になって、わざわざ電話をかけてきてくださったのです。私は、あまりにも突然で、しかも懐かしさと、感謝の思いが一瞬のうちにわき上がって言葉になりませんでした。

 Oさんも、Sさんも、私の拙い法話に対して、「有り難いご法話を読ませてもらいました」「お元気そうでなによりですね」と、電話越しに言葉をかけてくださいましたが、お二人とも大変お忙しい身なのに、しかもはるかに年下の私のことを憶えていてくださり、わざわざ電話をかけてきてくださったことに、私は大きな喜びと共に、大変恐縮することでした。

 お釈迦さまは、私たちの生活の中で、「布施の心・施しの心を大切にせよ」と諭され、大きなお金も品物もいらぬ七つの布施を示されました。その中に、言語の「言」という字に辞典の「辞」、布施の「施」と書いて「言辞施」という布施を示されました。

 これは、思いやり、ぬくもりのある言葉を相手にかける施しのことです。いくら携帯電話などが進歩しようとも、忙しい毎日、久しぶりの相手に電話一本かけて言葉をかけるということは、簡単なようでなかなか難しいものです。

 Oさん、Sさんのお電話に心から感謝すると共に、八年ぶりに、また大切なことを学ばせて頂きました。

2006年4月1日2006年04月04日【21】

2006年3月15日

 鮮やかに咲いた岩ツツジが、先日の春雨であっという間に散ってしまいました。

 さて、春が近づき、山では樹木が芽吹き、鳥たちの元気なさえずりが聞こえてきますが、お経には、極楽浄土にもいろんな鳥たちがいて、常に美しい声で仏さまの徳を讃えていることが記されています。

 その中に、「共」に、「命」の、「鳥」とかいて、「共命鳥」という鳥がいます。この鳥は、一つの同体に二つの首がついた不思議な鳥で、とても美しい声を持った鳥です。

 この共命鳥が、お浄土の鳥となったのにはある謂われがあります。というのも、共命鳥は、二羽の鳥が一心同体の姿をしていながら、以前より助け合うことがなく、ケンカばかりしていたのです。

 互いに、「私の声の方が美しい」、「いや、私の声の方が人々を魅了する声だ」と、いつもケンカばかりしているのです。そして、とうとう「あいつさえいなければ…」と、一つの頭が、もう一つの頭の食べる食事に毒を入れました。それによって、一つの頭は死んでしまいましたが、当然のこと、同体はいっしょですから、もう一つの頭の方も死んでしまいました。

 その愚かな行為を知った仲間の共命鳥たちは、大切なことに気づかされたのです。「相手を滅ぼそうとすることは、自分も滅びることになる。自分が生きようとすれば、相手も生かそうとしなければならぬ」という真理を、共命鳥は知ったのです。「共に支え合って生きること」を悟ったのでした。

 それ以来、共命鳥は、真理を悟った極楽浄土の鳥として、お互いに助け合いながら、昼夜仏さまの徳を讃えて、美しい声で鳴いていると言われます。

 私たちも、家庭で、仕事場で、地域で、助け合って生活をするといいことがたくさんあります。いがみ合って生活をすると、心は荒れすさんで、おおよそいいことなどありません。

 喜び事も、大勢の人で共に喜べば、その喜びは二倍にも三倍にもなります。悲しいこと苦しいことは一人のこととせず、皆でともに取り組めば、その悲しみ苦しみは二分の一、三分の一と小さくなります。そのことを共命鳥は教えているのです。

2006年3月15日2006年03月16日【20】

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