4月1日~死んでからのことでなく…。
三月末に満開になったさくらが、風に花びらを散らしています。
さて、四月八日はお釈迦様の誕生日で、多くのお寺では誕生仏に甘茶をかけてお祝をいします。
お釈迦様はお生まれになると、すぐに七歩歩いたと伝えられます。いくらお釈迦様でも生まれてすぐの赤ちゃんが歩くことはできないので、きっと、その偉大さと教えの尊さを讃えた伝承でしょうが、七歩という数に意味があります。
六つの迷いの世界である六道を越えるということです。
つまり、憎しみ争いの世界である地獄、貪りにあえぎ苦しむ餓鬼、感謝と恥を知らない畜生、疑念と驕りより争いの絶えない修羅、老病死に苦しむ人間、欲多きがゆえに苦しみも多い天上の、六つの世界です。
これは古代インドにおいて、仏教が生まれる前にあった考え方で、お釈迦様が七歩歩いたということは、仏の教えを聞くものは、この六つの迷いの世界を越えることを示しています。
この六道の世界で教えられることは、迷いの心と苦しみの結果が必ずセットになっていることです。
怨み憎しみや疑いや驕る心は争いを生みます。貪りの心は飢えと渇きを生みます。真実に暗いものは老病死に苦しみます。欲に溺れるものが受ける苦しみは倍増します。
これらはすべて私が死んでからのことでなく、私の心の内にある迷いの心に気づかないところから、いつでもどこでも始まる苦しみ世界です。
「そんな簡単な理屈は分かっている」という方がおられるかもしれません。分かっているならこの世に争いは起きません。人生に悩む人もいません。その簡単な理屈が自分のこととして正しく受け止められないところに問題があるのです。
お釈迦さまは、迷いの世界を必ず越えられる、苦しみを解決できると言われました。
それは仏さまの教えを聞くことから始まります。
2015年04月01日【237】