11月16日~もう会えないかもしれないけど…。
十一月も半ば、寒さが一層厳しくなりました。
さて浄土真宗に、「倶会一処」という大切にされる言葉があります。「く」とは人偏に道具の具と書いて「倶に」、「え」とは人と「会う」という字、「一処」とは「一つの処」と書き、お念仏の信心に生きる人は、たとえこの娑婆世界でお別れをしようとも、やがてお浄土に生まれ、再び先に往生し仏さまと成られし方々と会うことが出来るという阿弥陀さまの誓いのお言葉です。
先日のこと、大阪に出張した折に、離郷のご門徒・Sさんに会いに行きました。
Sさんは九十六歳、以前は鹿児島に住んでおられ、しょっちゅうお寺にお参りになっておられました。お参りになると必ず一番前で正座をされて、お経に耳を傾けておられました。
六年前、ご家庭の都合で、大坂におられる娘さんのお世話になるために移住されたのです。
時折お便りをくださり、この度、お寺で計画中の親鸞さまの法要に伴うご懇志をわざわざ送金くださり、そのお礼も兼ねて訪ねたのです。
私の突然の訪問でご家族皆驚かれました。そして久しぶりに会うSさんは、お元気な様子でしたが、既に下半身が不自由とのことでした。
一緒にお仏壇の前でお勤めをし、共にお念仏をお称えしてお参りをしました。
そして、ご家族共々近況をいろいろとお聞かせいただきました。
いよいよお別れをするとき、Sさんが「もしも私が死んだときは住職さん、来てくださいますか」とおっしゃいましたので、鹿児島と大阪のこと、確かな約束はできませんので私は、「ごめん、分からんよね」と答えました。
でも、別れ際に、「多分、Sさんが先にお浄土に参るかもしれんけど、今生ではもう会えないかもしれないけど、またいつかお浄土でお目にかかれますよ。大丈夫」と、Sさんの手を握りました。
Sさんは、「そうですね」と、満面の笑みを浮かべてくださいました。
お念仏をいただく私たちは、倶会一処の誓いの中で心豊かな日暮らしと確かな安心を恵まれるのです。有り難いことです。
2014年11月17日【228】