3月1日~それぞれの語らいの場が…
木の芽冷えの日々が続きます。
さて、毎日朝夕、お寺の納骨堂の玄関扉の開け閉めをしていますと、ほぼ毎日お参りをされる方が数名おられます。
最近、ご主人を亡くされた女性、奥様を亡くされた男性、数年前にご子息を亡くされてそれからずっと来られているご両親、さまざまです。
特に、ご子息を亡くされたお父様は、お骨の納められた納骨壇にお参りされた後、必ず本堂の阿弥陀さまの方に向かってお参りをされてお帰りになります。
きっと、納骨壇の前では、それぞれの語らいの場があるのだと思います。
お念仏を日々いただく私たちは、今生のいのちが尽きる時、必ず阿弥陀如来のお浄土に往き生まれる身とならせていただくことは、常々お聞かせいただいてはいますが、やはり生身の人間ですので、これまで共に暮らし、共に笑い共に泣き共に人生の山坂を乗り越えてきた親しき方とのお別れはきびしく辛いものです。
その親しき方とのよすがであるご遺骨が納まる所へ足が向き、手を合わすと共に語りかけて生前を偲ぶことは当然のことであります。
詩人のサトウハチローさんがこのような詩を残しておられます。
母がいる 姉がいる 妹がいる 弟がいる
雑司ヶ谷(ぞうしがや)の墓地
でっかい欅 大きい樫の木 カラスをみる ムクドリをみる 風をみる
雑司ヶ谷の墓地
弟と泣き 妹と笑い 姉と歌い 母を呼ぶ
雑司ヶ谷の墓地
三月は春彼岸のご法要をお勤めします。それぞれお浄土に先立たれた方を偲ぶと共に、お念仏のみ教えをお聴聞いたしましょう。
2023年03月01日【423】