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1月16日~お育てにあずかる
今年の鏡開きも終わりました。ぜんざいを召し上がったでしょうか。
さて、浄土真宗には「お育てにあずかる」という言葉があります。
これは仏さまのはたらきによって、凡夫である私が、仏さまのみ教えを聞く身に育てられていくことです。
これを、一般的な受け止め方で言うと、人として生きていく上で、忘れてはならない大切なことを、教えられ育てられることでありましょう。
この度、九十六歳でお浄土にお参りになったSさんも、私を育ててくださったご門徒のおひとりでした。
今から二十年ほど前までは、ご法事や通夜、葬儀も、集落の報恩講も、自宅や地域の公民館で行われていましたが、Sさんは、私が車で到着する頃に、いつも道路脇で直立不動で待っていてくださいました。
そして、停車した車から衣の入った私のカバンを取り出して、法要の会場まで持って下さいます。
喜寿を超えた人生の先輩にカバンを持ってもらうなんてとんでもないと、私が自分で持とうとすると、「お坊さんのカバンを持つのは門徒の私の仕事です」と、渡そうとはされません。
ご法事の最中は、凜とした姿でお経や法話を聞かれ、法事を終えて私が帰ろうとすると、またすぐさまカバンを持って車まで運び、道路脇で最後まで見送って下さいました。そして、その姿は、炎天下の時も、寒風吹く厳冬の時も変わりませんでした。
Sさんは、言葉にこそ出されませんが、「今日も仏さまのお勤めをよろしくお願いしますよ」という心が、その自然な振る舞いの中に現れていて、その姿に支えられて、私はいつも、せいいっぱいのお勤めをすることができました。
この度、そのSさんがお浄土にお参りになりました。
お育てをいただいて有り難うございました。またお浄土で…と、感謝のお念仏でお見送りをいたしました。
1月16日~お育てにあずかる | 2023年01月16日【420】
2023年1月1日~短期、中期、長期の人生
明けましておめでとうございます。今年も「覚照寺・心の電話」をよろしくお願いいたします。
さて昔、先輩方からお仕事を教えていただく中で、「短期、中期、長期の計画を立てて仕事を進めなさい」と言われました。
短期とは今直ちに行う仕事。中期とはすぐではなくても、ある一定期間の見通しを立てて行う仕事。長期とは長い時間をかけて、理想の完成の姿に近づくよう計画を立てて行う仕事であります。
人生も同様のことが言えるかもしれません。若い時には、何でも学ぼうという姿勢で、目の前の仕事に体力の続く限り一生懸命取り組んでいたように思います。中年の時には、家庭や子どものことや自分の健康のことなど、将来のことを少し踏まえてお仕事をしてきたようです。
平均寿命が延びた現在では、初老は六十歳くらいからを言うそうですが、その年になって、いよいよ長期計画を完成させる時期が近づいてきました。
新年早々ではありますが、「あなたのいのちはどこに向かって生きていますか」と問われた時に、あなたはどのようにお答えになるでしょうか。
嬉しいこと楽しいこと、悲しいこと辛いことを重ねてきて、人生の長期計画の完成日が近づいてきている時に、「私のいのちはどこに向かっているのかわかりません」では少し困ります。
年齢ととともに、自分のいのちの帰すべき確かな目標があってこそ、残された人生を安心して送ることができます。あてどなくさまよい、どちらに向かっていけばいいかわからない人生は迷いであります。
お釈迦さまは、人生の長期計画の最終目標、つまりいのちの帰すべき目標を「極楽浄土」と示してくださいました。まことのしあわせあふれるさとりの世界であり、親しき方と再び会える世界でもあります。
今年一年、またこの真実の目標をしっかりと定めるために、お寺でお聴聞を重ねましょう。
2023年1月1日~短期、中期、長期の人生 | 2022年12月31日【419】
12月16日~この世は虚しく真実はなく
山眠る季節。冷え込みもいっそう厳しくなってきました。
さて、今年一年、さまざまな出来事がありました。
国内では、安倍元首相の狙撃による死亡と旧統一教会問題、知床遊覧船の沈没事故や東京五輪の汚職。国際においてはエリザベス女王崩御や北朝鮮のミサイル連射などがありましたが、なんと言っても一大事はロシアによるによるウクライナ侵略でありましょう。
プーチン大統領は二月二十四日、ウクライナ侵略を一方的に開始し、九月にはウクライナ東・南部4州の一方的な併合を宣言しました。黒海では穀物輸出が停滞し、食料価格が高騰するなど世界経済にも影響を与えています。
今現在もロシアは、ウクライナのインフラ施設を攻撃しており、寒さが厳しい中で、ウクライナの人々は大変極めて困難な状況にあると伝えられます。
日本で初めて深く仏教を信仰された聖徳太子は、「世間虚仮唯仏是真」と言われ、「この世のすべてのことは虚しく真実はなく、ただ仏さまのみ教えのみが真実である」ことを教えられました。
この言葉は、単に一部の個人や国のあり方を外側から批判したり、自分の意思に沿わない事柄を一方的に批判したものでなく、人間の本質にある自己中心性、人間の心底に潜む煩悩が表れた姿、その煩悩を抱える自分自身のこととして、深く内省されたところに発せられたものであります。
現地の悲惨な報道を目にする度に、一個人ではどうすることもできないもどかしさを感じる日々ですが、一刻も早い停戦を願うと共に、自分自身と何ら変わらない人間によって、この悲しく痛ましい状況が引き起こされていることを心に刻みたいと思います。
今年一年、覺照寺「こころの電話」をお聞きくださり有り難うございました。
次回、元旦の朝、お話が変わります。皆さま、おだやかなお正月をお迎えください。
12月16日~この世は虚しく真実はなく | 2022年12月16日【418】